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2007年11月26日月曜日

私にとっての教員免許状(レポート・改訂版)

私にとっての教員免許状




目次
  1. はじめに
  2. 教職課程を取るときに考えていたこと
    1. 自身の遍歴
    2. 学者を目指すうえでのリスク
    3. 将来、用いるであろう経験・知識の獲得
  3. 教職課程を取ることで得たこと
    1. 獲得した視野
      1. 授業を通して
        • 発達心理学
        • 理科学
        • 数学
        • 教育工学
        • スポーツ関連の基礎知識
        • 人権環境
      1. 興味にを得て
        • 脳科学・大脳生理学
        • グループワーク
        • 引きこもり
  4. 教育実習で得たこと
    1. 世代間ギャップ
    2. 現場の多忙さ
    3. 教師の不十分さ
    4. 現場の個人プレイ
  5. 教員免許状を取る意義
    1. リスク
    2. 啓蒙活動
  6. 教育関係者に求める事
    1. insight
    2. 科学的視点・固定概念をなくす
    3. 目的意識
    4. 学び方を教える
  7. まとめ
    1. 当初の目的と実際
    2. これから

  1. はじめに

  2.  教員免許状をすでに、ほとんど取得できる状況にある。本来的に教師を目指したわけでもないのになぜこの様な事態になったのか。それは、私自身のバックグラウンドから始まり、そこで生じてきた意義の追及というほかに適当な言葉が見当たらない。その中で、決して恥ずべきいい加減な気持ちで挑んだことなどなかった。むしろ教職課程の先生方の狭い了見や、古い知識の羅列に憤りを感じたぐらいである。教員免許状を取得する上での四年間の総決算として、教職課程と向き合ってきた自分と、その背景に関する事柄を、述べてみようと思う。

  3. 教職課程を取るときに考えていたこと

  4. 教職課程を取得することは、大学入学当初から、考えていた。それは自分自身が経てきた遍歴によるところがあるだろうし、専門を深める上で、研究者になれたとて、一教育者であることに変わりなく、なれなかったとしても学問にかかわる仕事としての教職が、十分に魅力的であると感じていたからである。

    1. 自身の遍歴

    2.  私の成績や言動を通じて、周囲は私を高みに追いやってはいくが、過去からのつながりを考えると実に不思議な状態にあるといえるだろう。それはつまり、私自身がいとも簡単に、関学に入学したわけでもないというべき事情からそう感じてしまう。
       それなりの小学校生活の後、家庭や学校で、様々な問題が起きたことから中学校を一年半ばにて不登校となり、二年生で登校した日数はわずか30日であった。二年の終盤で学校復帰し、あれよという間に高校受験。合格した公立高校ですら、危ういとされた。
       高校時代は、部活動と生徒会活動に没頭。成績も上位を占めたが、とても受験の世界に飛び込めるような状態ではなかった。
       二年間の浪人中、合格は、二年目の関学と京産のみ。とても順風満帆とはいかなかった。むしろ不安な状態を2年間過ごしたといえよう。
       大雑把であるが、大学入学までには、とてもじゃないが楽な時間はなかった。そのことが逆説的に他者への教育欲として、暗に明に生じてきた。それは、私自身が得てきた苦労への反発というべきか、問題意識の発散というべきか、そのような、フラストレーション反応であったと、今となっては感じている。

    3. 学者を目指すうえでのリスク

    4.  大学入学後、一番に求めたのは学友である。ともに学問の面白さを語り合う仲間を、心から求めた。そのために勉強してきたといってもよいだろう。それは同時に、将来の方向性として研究者を視野に入れることでもあった。しかしながら、実際は非常に難しいものであることが判明してきた。実際にそのことによって情熱がそがれた覚えはないが、実に大学院博士課程卒業者の半数以上が、定職についていないという現実である。二割ずつが、一般職と研究職。それ以外はポスドクと呼ばれる年次更新の雇われ研究者か、他の仕事で生活の糧を得ているかのどちらかである。
       情熱を傾けて、学問を勉強するということは、それだけその本来的にあるべき姿、研究者への道を突き進むことでもある。結局として、その不安を解消する素材として教職免許状というものを取得する動きを得たことは否定のしようもない。

    5. 将来、用いるであろう経験・知識の獲得

    6.  研究者を目指すことを考えていると、教職課程自体にそれなりの意義を見出せることも事実である。教職自体のそれは、一定の体系を得ており、並一通り科学、または数学というカテゴリーに入る分野に触れることができる。それは結局、高度に専門化された分野に深く入り込んでゆく上で、ひとつ灯火を得たようなもので、他の分野の知識が、全体像を教えてくれて、結果的に自然界に対するインサイトを深めてくれた。
       加えて、研究者が同時に教育者でもあることを自覚するきっかけともなる。後進の指導、研究室でのリーダーシップ得るべき教育的側面の能力は多数ある。その能力は同時に自身の研究に多くの刺激を与え、たくさんの恩恵を与えてくれるであろう。単に教育課程といって、中高生の教育に留まらない側面を大きく受け止めたというべきだった。

  5. 教職課程を取ることで得たこと

  6.  教職課程という、カリキュラムは結局のところ、私の興味が向かうところ意外を新たに照らしてくれるきっかけともなった。

    1. 獲得した視野

    2.  教職課程を通して得た知識、またはそれに裏打ちされた視野は、大きく分けて授業を通してのものと、派生した興味関心からのものの二つに分かれる。どちらの知識も大小を問わず大きく今日の私に影響を及ぼしているように感じる。一つ一つ丁寧に掘り起こしてゆきたい。

      1. 授業を通して
        • 発達心理学

        •  もっとも特徴的で、端的な影響を感じるのは発達心理学においてであろう。われわれが生きてゆくということ、知識を獲得してゆくということ、また、こうして社会生活を送ってい行くということが、まったく自然に行われるのではなく、周囲の大人たちの作為的な教育活動の成果として、多くの能力を獲得してきたことを知らしめてくれた学問であると思う。と同時に、肝心な核論に、この分野が踏み込めないもどかしさも感じた。それは結果として、大脳生理学、脳科学と呼ばれる分野へと、尾を引くこととなる。

        • 理科学

        •  専門と捕らえられるかもしれないが、例えば物理学者が化学や生物に関する事柄についてどれだけ知識を持っているかと問われれば、それはあまりにも乏しいといわざるを得ないだろう。それこそ高校で習う程度の知識である場合もあるし、それに怪我は得た程度とも言えるときもある。
           単に面白いから、好きだからという気持ちだけで獲得はできない、大局観   と科学とは何ぞやという大きな疑問符を呈する結果となった。
           この疑問符については、僕自身のブログで、深く追求する結果となり、将来にわたり、この考察の結果身についたinsightは非常に大きいものではないかと感じている。

        • 数学

        •  特に物理を学んでいて、特出する疑問は、数学は科学かという根本的なものである。(上記の科学に関する議論において、この疑問符も大きな役割を果たすのであるが)
           こうして数学という分野に深く踏み込むことができた要因としての教職課程は、一定の評価を得るべきものとなっていた。深みを付け加える原因となったといえよう。

        • 教育工学

        •  教えることに対して、必要な準備や、意味づけの意義を習った。学ぶ上では個々の納得が行けばよいが、教える立場となるとそうはいかない。とくに個別に教えるのではなく、集団に教える場合、その難しさは露呈する。
           自らの知識を、一段落として伝えるということの難しさを学んだ。

        • スポーツ関連の基礎知識

        •  基本的な生活を見直す上でのひとつの視点が、この運動に関する知識軍であった。動物としての体と社会生活がマッチしていないために引き起こされる様々な現象や、筋肉の鍛え方に至るまで、それまで意識していなかった事実を与えてくれた。

        • 人権

        •  人権とは「みんなちがってみんないい」と鈴木先生はおっしゃった。画一化を進めることで集団主義を導いてきた教職現場とは一線を画する言葉だと思う。
           今思うと、個々人の違いがこの社会を動かす原動力となっており、違うからこそ役割分担ができて、違うからこそ好きなことにのめりこめる人々がいるということを気づかせてくれる。

        • 環境問題

        •  環境問題の根本には、生物多様性の維持という目標が掲げられている。人工的な芝生や植林は、わずかな種類の樹木が植えられており、それが生物の多様性を脅かしている。そのことが、より高次の動物、つまり肉食獣などのえさを減らす結果となっていることをわれわれは知らなければならない。
           酸素や二酸化炭素の排出などに単純化されたメディアの報道からは読み取れない情報があった。多様性こそが、自然界の均衡の安定性を生んでいることを認識させられた。

      1. 興味にを得て
        • 脳科学・大脳生理学

        •  教育に関することがらを学ぶうちに最も触発されたのは、脳の性質についてであると思う。発達心理学に物足りなさを感じ、脳科学に関連する一般書を読み始めると、人の感情や、学習のあり方など、非常に深いinsightを与えてくれた。
           人間が、どうしてそのように行動するかということが、経験化して見つめていたよりもさらに深いところでの判断ができるようになり、沢山の理由付けを行うことができたのは、まず社会で生きてゆく人として、大きなプラスであると感じているし、学習してゆく上での大きな指針を得たことになる。
           大脳生理学や、脳科学と呼ばれる分野は、人間でありながら人間の行動に対して客観性を持つことができる大きなチャンスであると確信している。

        • グループワーク

        •  まともにクラブ活動をしてこなかった私にとって、総合演習は実りの多いものとなった。リーダーとして全体を取り仕切ることを久しぶりに行い、その勘を取り戻すことができたとともに、いくつかの実験的試みをすることができた。
           具体的成果を挙げるには、保守的に取り仕切るべきであったろうが、学習という意味で、大切なものを得たと考えている。

        • 引きこもり

        •  冒頭でも述べた、自身の経験や、教職課程を取っていることから、引きこもりに関する知識を収集することが多くなった。と同時に、インターネット上でのコミュニティで引きこもり経験者と引きこもりを対象にしたコミュニティを立ち上げることで、彼らの周辺にいる親たち、兄弟たちの苦悩も同時に垣間見ることができた。
           引きこもりは、多様な面もあるが、ある程度の分類わけは可能であると思う。そうした彼らへの支援の形は、教育関係者や臨床心理学者、またそれを支援する保健所やNPO団体ではよく理解されていると感じているが、一般に十分とその対処法が行き渡っているとは思えない。先日も真剣に教職を目指している友人と話していると、この点に関する誤解を、会話の節々から感じた。
           引きこもりに関する情報に触れる状態にあることは、自身の過去に関する清算ができるとともに、まだ十分に行き渡っていない引きこもりの新状態を伝えるという啓蒙活動の一翼を担っていると感じている。これからも支援によって多くの彼ら彼女らが社会復帰し活躍することを願っているし、活躍できる人々であると確信している。

  7. 教育実習で得たこと

  8.  教育実習において、華々しい時間をすごせたかといわれると、そうではなかった。全体として先生方の「疲れた」日常と、結果的にいい加減になっている判断基準ばかりが目に付いた。もう少し厳しい現場と、しっかりとした基準を持った(または持つ努力をした)現場を期待したが、いささか失望の念を隠せない。

    1. 世代間ギャップ

    2.  プラスに評価すべきところとして、得られた経験は、現在の高校生たちと、私との世代間ギャップを感じれたところであると思う。
       具体的には、授業中での振る舞いが、怠慢化している点である。授業直前になってもモノを食べていたり、授業中に化粧をしているといった行為が、われわれのころなら一人二人であったのが、一クラス3,4人の小グループが、みなしているという状態になっていた。子供っぽさが増したというべきだろうか。
       机間巡視をしていると、学力差の中に、生徒があるために、授業がついていけないで投げ出している生徒と、授業がつまらなさ過ぎて投げ出している生徒とが、おしゃべりをしていたりした。我々の頃ならば、ついていけない生徒は、寝ているものだったが、ついていけない生徒は、授業中に説明したはずのところを、時をわきまえず発問したりしていた。今の生徒たちは(底辺校だからいえるのかもしれないが)より素直になっているようにも感じられた。

    3. 現場の多忙さ

    4.  現場の多忙さは熾烈を極めていることも、実感として残った。日に授業や会議が3,4回、放課後の2,3時間で次の日の用意と、めまぐるしく毎日が過ぎていった。
       しかし、その中で時間をかけて判断すべきところに時間を充てることができなかったり、熟慮なく経験だけでやり過ごしている場面が多数あった。
       この様な状態では、理性的な行動は取れないだろう。何らかの手立てを打つべきと思う。

    5. 教師の不十分さ

    6.  先にも述べたが、熟慮ない経験的判断のやたらな多用が問題だと思う。いくつかどうしてそういう風にしているのですかと、質問したことがあったが、そのほうがいいからだ。といった、答えになっていないものが多くあった。
       現代は、時間の有り余っている学生生活と、時間がやたらと無い、社会人生活とが混在している状態にあり、その結果として、サブカルチャーが若者文化と同義語として定着し、世代間ギャップを生む象徴となっているように思う。そのことを考えると、経験的判断は、結局消費期限のある経験(時代観)に基づいており、そのようなものだけでの判断には限界があると思う。教師たちはそのことにもう少し向き合うべきだし、その上部組織は、その点をもっと汲み取るべきと感じた。

    7. 現場の個人プレイ

    8.  教育現場でのもうひとつ感じた大きな欠陥は、教員どうしの授業の相互評価が無いことだ。私が授業をしたときも、先生によって話されることはまちまちで、何を基準にして次の授業につなげるべきかが、定まりにくかった。
       それは結局として、授業での経験を先生間で共有できておらず、統一的または、ある程度の普遍性をもった価値観の構築ができていないといわざるを得ないと感じた。
       結果として先生方は個人プレーの連続となり、学校全体として生徒たちを導こうという姿勢がほころびだらけになる。生徒たちと接するうちに感じるのは、そういった価値観の相違に振り回されている生徒たちの、先生への信頼の無さだと思う。どの様に考えたとしても、個人プレーはもう少し考え直すべきであろう。それはつまり、熟慮する時間が無いという点にもつながるのかもしれないが。

  9. 教員免許状を取る意義

  10.  以上は経験的側面ばかり特筆してきたが、私が免許状を取る意義はどこにあるのであろうか。その点について掘り下げてみようと思う。

    1. リスク

    2.  一つ目の意義は、リスクマネージメントである。教員採用試験の倍率が高いとはいっても、研究職につくことを考えれば、はるかに簡単に就職ができる。大学院博士課程卒業者の6割は定職に就けず、よくても年次更新の不安定な職業についている。日本全体を見回しても1万人が定職についていないとも言われるデータがある。実際には2万人近いのではないかともいわれ、高学歴ワーキングプアとも言われている。これまでに述べてきた、教職課程を履修する上での利点と併せ持って、教員免許状の取得の意味は、不安定な世界に足を踏み入れる上でも、大きい。

    3. 啓蒙活動

    4.  一方でそれは不謹慎かもしれないが、キュリー婦人がかつて開いた、専門家とその子供たちの私設学校のことを考えると、理にかなっていないとはいえない。教える喜びで教師をするのはよいが、ある種の専門的な分野に対する愛情がないままで、教師をするのはどうかと思う。なぜその分野が面白いのか、またどのようにして世の中に役に立っているのかといったことを、平易に伝えることも教師の資質だと思う。
       教育とは、学習者の社会的地位を現在の状態にかかわりなく、本人の能力によって設定しなおすための期間でもあると思うので、単に問題を解くためのテクニックを伝えるだけの教育や、計算方法を教えるということが、教育活動であるとはとても考えられない。皆が学者になるべきとは思わないが、その一部を理解し、柔軟に扱う能力は、間違いなく必要である。そのためには、知的好奇心を刺激し、その刺激によって得た理解や能力を、柔軟に応用する力が結局の所、社会での確実な成功を生むと思う。
       大学の授業に不適応を起こし、就職手段としての教師を目指す人々に、この点は大きく欠落していると思う。彼らを卑下するわけではないが、教師として必要な能力を全て持つことは、容易なことではないものの、その欠落しがちな能力を持ったものの教育活動というのは、あってしかるべきである。学問を愛する人間として、たとえ研究者になれなくとも、その面白さを伝える活動の一端を担うことができるならば本望である。

  11. 教育関係者に求める事

  12.  いささか、繰り返しとなる事項が多くなってきたが、それは複合的に語っているためである。そのつど注目している事項が異なり、その周辺として繰り返しとなってしまう事柄が出てしまうことを注意していただきたい。
     さて、上記のように述べたのは、教育関係者に対して求める事柄が、4.教育実習で得たこと 5.教員免許状の意義 の内容と重なっている部分が多いためである。つまり、教育関係者に求める事柄は、教育実習を通して得た経験から生じており、それを見つめなおすひとつの視点として、教員免許状の意義があったと忠告しておく。

    1. insight

    2.  現場の先生方の判断基準を鑑みていると、直感的、感情的な基準が多くあったと思う。何故そのように思うのかと問うたところで、満足の行く答えは返ってこない。学校の先生が変わると、学校の雰囲気自体がわかるのはこのためだと思う。先生方自身に、確信をもって行うべき(一般性のある)事柄というのが、沢山積み上げられていない事が原因だと思う。偏見や、了見の狭さが、「その人」の意見というものを作り出してしまい、結局経験の共有もできないままに、学校組織を組み立ててしまうために、個々が個人プレーをしてしまい、その結果、人により言うことがばらばらになってしまう。個人プレーができてしまうほどの人々が、そんなに沢山いるとは到底思えない。経験の共有と、学校全体を通しての教育活動をもう少し考えていただきたい。

    3. 科学的視点・固定概念をなくす

    4.  上記とほとんど同様のことであるが、価値判断に対してもう少し述べておく。前述したように、世代間の思考ギャップは特に若者文化の中で生じやすい構造を持っている。そのことからすると、あらゆる場面において、何らかの前提でもってモノを見るべきでなく、ありのままを受け入れ、そのありのままがどうであるかよく考えた上で注意すべきである。自らの価値観を押し付ける方法論は、現代においてあまりにも似つかわしくない。それはつまり、ほとんどの場合古い価値観となっているからだ。自らの価値観を一度捨て、具体的に一つ一つ構築してゆく作業を現場には求める。それをしない限り、教師生徒間の溝は埋まらないと思う。

    5. 目的意識

    6.  これまた、ほとんど同じことであるが、「自らの価値観を一度捨て、具体的に一つ一つ構築してゆく」時に、何故そのようなことを教えなければならないのか、また、何故そのような指導をしなければならないのかという点について、熟慮が不十分だと思う。繰り返しになるが、これがためにどれだけ議題になっても検討がされなかった議題が、先生が変わることによって、いとも簡単に承認されてしまうことになるのだと思う。現場に基づいた価値基準を一から作り直していただきたい。

    7. 学び方を教える

    8.  大学進学を前にして、もっとも私に欠落していたのは、情熱でもなく、時間でもなく、どのようにして学ぶべきかということだった。学校現場は、将来的に知っておくべき事項を現場で学ばせていて、また、その学習経験により社会において、専門的な事柄を学習すべきとしておきながら、学習方法に対する指導は皆無である。私の経験からすると、学習方法は、小中高と塾に通ってきたような生徒ほど身にはついていると思うし、その結果、学習時間の差があまりないのにも関わらず、現れる結果に、格段の差がついているのだろと感じている。学ぶ場であるはずの学校現場で、学習方法に関する指導がまともにないのは、明らかに不自然である。前述した「教育とは、学習者の社会的地位を現在の状態にかかわりなく、本人の能力によって設定しなおすための期間でもある」という視点からして、あってしかるべきであると思う。

  13. まとめ

  14.  私にとっての教員免許状というタイトルで、これまで話してきた。その意識の部分が、教職課程を履修しようとした当初の目的と、実際を見てからはいささか変わったのも感じ取っていただいただろう。この変化と、これからをお話して、このレポートのまとめとしたい。

    1. 当初の目的と実際

    2.  教職課程を履修しようとしたときの目的は、
      2.1自身の遍歴
      2.2学者を目指すうえでのリスク
      2.3将来、用いるであろう経験・知識の獲得
      であったことはお話した。現在のところそのほとんどの点で揺らぎはないが、教育実習に行くことで、いささか先生方への不信感が増したのは感じ取っていただいたことと思う。その中で得たことは、反面教師として、より彼ら彼女らを素直に見つめ直すことであり、より啓蒙的であることであった。しかしながら、あくまで教職を目指さない道を歩んでいることに変わりなく、そのような教師間の普及を望むのみである。

    3. これから

    4.  現在、大学院への進学が内定している。その先にあるものがどのようなものであるのか、不安とともにあることも間違いはない。かつて中国で行われた科挙試験。受験生の教育に当たっていたのは、受験に失敗した者たちであった。彼らは、注いできた情熱や、思いを、存分に学習者に教えていたであろう。あと二年の修士課程の猶予はあるものの、足の裏の米粒と気になるがとっても食えないと揶揄される博士課程への進学で悩むことだろう。そのときには、本気で教職を目指すときがくるかもしれない。

2007年11月9日金曜日

Fortran rink(未編集)

l GCC( GNU Compiler Collection)g77,g95,gfortran+CygwinGPLライセンスなソフトウェアをつくり、普及を図るGNUprojectのグループが製作したもの。ただし、g95Andrew Vaught が中心となって2000年からGCCでの利用目的に製作を開始したが、2002Andrew Vaughtが個人での開発を開始。以後、正式なGCCでのコンパイラとしてg95のソースを受け継いだgfortranが開発されている。

l Watcom Fortran 77 Version 11.0c

l Salford SOFTWAREFTN77 Personal Edition,CPad for Salford FTN77Salford社が開発し個人利用なら無料として公開したもの。フリーのワークステーションである、CpadがこのFTN77に対応した形で改良された。現在、Salford社はFTN77の配布を中止しており、入手困難な状況にある。

Ø きときとVector 上にある、よく使われているエディターであるCpadの作者のサイト

l Silverforst FTN95 Fortran Compiler 個人目的では無償のコンパラ。FTN77Fortran95対応版。社名が変わっている深い理由はわからないが、エディターも同封されている。WindowsNative環境で動くコンパイラーは数が限られている(というより他に無い)ので、重宝するがJIS規格に対応していないようで、Write文で日本語入力ものはエラーがでる。

l F CompilerFortran95から、Fortran77以前の文法を取り除いた、F言語コンパイラ。ソースコードは公開されていないが、無償で使える。 Linux/Solaris/Windowsなど、多くの環境で使うことができる。

1.1.1. 商用コンパイラ

l Absoft ProFortran商用コンパイラ。Linux(IA32,AMD64,PPC)/MacOS X/Windowsに対応。

l IBM XL Fortran for MacOS X IBM製のFortranコンパイラがMacOS Xに移植されたもの。製品版はabsoftから販売。

l Intel Fortran Compiler MS Fortran から、様々な会社を経てたどり着いたVisual Fortranと呼ばれるIntel製のFortranコンパイラ。Fortran77/90/95に対応していて、 Pentium4への最適化や、SSEを使った疑似ベクトル化機能などがある。Linux版は、非商用利用であれば無償で使る。

l Lahey/Fujitsu Fortran富士通、Lahey社製の商用Fortranコンパイラ。Linux/Solaris/Windows用がある。

l NAGWare f95 Fortran Compiler商用コンパイラ。教育用に開発されたFortran Builder(同社)に対して開発されたコンパイラで、Fortran77/90/952003の一部)の言語仕様にチェックしているため、他のコンパイラに比べて、高い信頼性を持つ。

l Qlogic PathScale Compiler SuiteAMD64用商用コンパイラ。

l PGI Fortran Compiler商用コンパイラ。

l Sunstudio Fortran Compiler Sunmicro Systems 社が開発した商用コンパイラ。Solaris OS on SPARC, Solaris and Linux on x86/x64 プラットホーム用

l PGF95 Portland Group社のコンパイラ

l Photrang95を使用しているらしい。

1.2. オンラインマニュアル、リファレンスガイド

l HP Fortran リファレンスガイドHP社のHP Fortran向けのリファレンスガイド。Fortran90, Fortran 95を完全にサポートしている。

l Lahey/ Fujitsu Fortran オンラインマニュアル国立天文台、天文データセンター直下にある、Fujitsuのソフトウェア、コンパイラマニュアル集。

l Compaq Visual Fortran プログラマーズガイド現在のIntel Fortranについてのマニュアル2001年版。

l Fortran 90 言語マニュアル東京理科大学 理学部教養学科 山本 芳人 氏による Fortran90の文法辞

l J3 Fortran Standards Technical CommitteeFortran 66, Fortran 77, Fortran 90, Fortran 95, Fortran 2003standardsを作ったグループのホームページ。草案が公開されている。

l 日本工業標準調査会工業規格 JISのページ。JISX-3001-1 「プログラム言語Fortran−1部: 基底言語」として、Fortran95の仕様を入手できる。

l Fortran プログラミング冨田博之(京都大学 総合人間学部 (新課程)自然科学系/計算理学専攻 京都大学大学院 人間・環境学研究科 相関環境学専攻 物質相関論講座)による、Fortran プログラミング教本。出版もされているが、教育、学習目的での氏の作成したHTML文書の使用は、無償で利用できる。

l Fortran 日記Fortranファンによるブログを用いての文法紹介。

l Fortran 学習帳Fortranの文法、例文などの紹介サイト。ちょっとしたポータルサイトになっている。

l A Fortran 90 TutorialZane Dodson(Computer Science Department University of New Mexico)による、チュートリアル

l Object Oriented Fortran 90 ProgramingBoleslaw K. Szymanski教授(Rensselaer Polytechnic Institute Computer Science)らによるFortran 90を用いたオブジェクト指向プログラミングを紹介したサイト。

l Fortran プログラミングの基礎知識 薮 哲郎 氏(大阪府立大学 大学院工学研究科 電気・情報系専攻 電気情報システム工学分野)によるFortran77の基礎的な知識や、研究に関連するプログラム言語、ソフトウェアの扱いに関する知識が収められているページ。

l FORTRAN プログラミング 法政大学 情報メディア教育センターのSawa Matsuyama氏による13回分の授業用資料。文法の解説ページもある。

l Fortran ResQ 倉林 弘志 氏によるFortran のチュートリアル。流体力学への応用が目的となっている。

l Fortran Tips 見延 庄士郎(北海道大学 海洋気候物理学研究室)によるFortran77ユーザー向けのFortran90の解説ページです。何故かFortran Tipsのリンクが氏のホームページからつながっていません。

l For the Better Fortran Programming(未完) 北海道大学 電子科学研究所情報数理教室 一宮 尚志 研究員によるFortran90を用いてプログラムを作成するに当たっての、書き方の注意をしている。

1.3. 歴史など

1. The Fortran (not the foresight) saga 英語サイト。Fortran 90に関するもの。

2. Steve Lohr著『GO TO』の抜粋

· Part One: FORTRAN The Early Turning Point

· Part Two: FORTRAN The Early Turning Point

· Part Three: FORTRAN The Early Turning Point

2007年11月7日水曜日

雑記

◆◆プロフェッショナルより◆◆

過去に受けた評価にこだわっていては、新しいものを生み出せない
志を共にして、冒険をする
本人が、確信をもってしていないと、いいものはできない
不器用に、これしかいないと思えるからこそ、いいものができる

◆◆吉光浩二 名言集◆◆

学者の3タイプ
・腕力型
  わけもわからず計算力だけでしているうちに、新しい世界へ行ってしまう人
・発想型
新しい発想を、次々と思いついてゆく人
・総合型
ある研究の周辺を勉強して、構造的にその研究を捉える人

時流と学者
ある研究が流行しているころの研究者は、基礎から勉強する時間がない。

2007年11月2日金曜日

Brounian Motion

今日、吉光先生の退官に合わせて、
採用される見込みの、ブラウン運動をもちた非平衡統計の専門家
[]先生の講演会があった。

(ので、そのうち書いて報告しますw)

2007年10月31日水曜日

相転移の波動モデル

今日、色々と絵を描いていて、やっと K2Ba(No2)4 の基本構造がわかった。

というのは、単に構造自体がわかったのではなくて、
相転移前後での、系の対象性についてだ。

考察したのは、
無秩序状態の系と、
完全秩序状態の系。

K2Ba(NO2)4 は、部分秩序を持っているが、
とりあえず二つはわかった(調べれば出てきただろうが。。)

系は、完全秩序で三方晶の対称性を持ち、
無秩序相で六方晶の対称性を持つ。

三方晶は、三回の回転軸
六方晶は、六回の回転軸を持つので、

六角形の系を考えて、
正六角柱の中心を座標中心、
正六角柱を、大きくしたものを系の形状とすれば、

シミュレーションの計算は、1/3の計算量で済む。

K2Ba(NO2)4 自体、系の形状が
時間依存性のある統計分布関数 に依存することが、知られているが、
この正六角柱モデルで、何らかの説明が出来るかもしれない。



話はさておき、タイトルにしている波動モデルについてだ。

元来、秩序を持つ相は、熱力学的なポテンシャル(FやG)として
極小に存在するような状態だ。

この議論は、ランダウ(Landau)理論と呼ばれ、彼の統計力学下巻に詳しく考察されている。
(ランダウ・リフィッツ 物理学教程 統計力学)


したがって、安定な状態のはずなのだ。

しかし、得体の知れないエントロピー(S)によって、この安定状態は乱されて、
次第に、安定性すらその系に見つけることが敵わなくなる。

このエントロピーは熱的散乱に起因すると考えられていて、
様は、系内の分子(結晶を作っている)や粒子(束縛された電子)が、
高い運動エネルギーを得るが為に、
折角のポテンシャルの溝が台無しになってしまうという事だ。

このような話は、巨視系(マクロ)での話で、
僕が思うに、非常に短い時間や短い区間では、
部分秩序が存在していると考えている。

つまり、転移前にも、部分的には転移しているはずだというわけでだ。

そこで考えたのが波動モデル。

波の山を、場を作り出す何らかの量として、
その山が、ポテンシャル(詰まり他の山との相互作用)を生み出すことで
より大きな山を作り出そうとしている。

実際に、今回のモデルは、束縛された双極子の動的統計モデルで
双極子をターゲットにしている時点で、確かに場を生み出している。

この場によって出来た波は、その性質から、光速を超えることが出来ない。
したがって、このような波は動き回っていると考えられる。

どのようにかというと、上向きの秩序に対して、正反対の向きの秩序が、
生じうる可能性も統計的に同等と考えられるので、
この上向きと下向きが、呉を打っているように、陣取り合戦をしているのだ。

但し、上で述べたように熱的散乱が何らかのパラメータとして作用して、
系の中で秩序の粒(山)を大きく出来ない状態になっている。

こうしてひしめき合った山が、転移点に近づくことで、
ごく初期のわずかな(上または下の)偏りによって、
どちらか片方の秩序が形成されるというわけだ。


しかし、このモデルは決定的な欠点がある。

山を表現する方法が見当たらないことだ。
山は、波動性を満たすとして表現すると、
大きさや形状の異なる波がひしめき合った状態を表現する方法は、なかなかない。

波動関数で表現するなら
周期性自体がないし、フーリエ展開した所で、性質を理解する上で全く意味が無いからだ。

何らかの関数として表現するなら、
今度は、巨大な系でひしめき合い、バラバラの形を持った山を、
表現するには、無理があるし、表現できたとしても、
何らかの本質的理解を供給してくれそうにない。

したがって、関数として表現することすらも難しいことになる。

もう一つの欠点は、山どうしの相互作用だ。

上向きの山と、下向きの山がどうやって相互作用しようというのか。
方法論として、よいものが思いつかない。

単に勘として思いついた、不十分なものだが、
量子論の関数的特性が、このような発想になんらかの
モデルを供給してくれるような感じがする。

量子論は粒子場を波動関数の波として、
その波の密度を持った電子が、
ちゃんと相互作用つまりポテンシャルをもって、
周りと相互作用しているからだ。

先生が、導いてくださっている方向とはずれているが、
何か、思いつつあるこのモデルも、
頭の片隅に置きながら、卒論の研究を続けたい。

卒論への苦行

吉光先生から、多量の論文を処方された。

Time-Dependent Statistics of the Ising Model
Roy J.Glauber
Journal of Mathematical Physics, Vol.4 N0.2 1963

Electric Field and Energy in Dipole Lattices
E. F. Bertaut
雑誌不明, Recieved May 27, 1953

Methods of Calculating the Crystalline Electric Field
J.Kanamori, T.Moriya, K.Motizuki, T.Nagamiya
Journal of The Physical Society of Japan Vol.10, No.2, 1955

The Lorentz Correction in Barium Titanate
J.C.Skater
Physical Review Vol.78, No.6, 1950

K2Ba(NO2)4
の相転移に関する、動的性質の研究
を、Roy J.Glauberの論文にあるマルコフ過程(Markoff Process)
を用いて、コンピュータシミュレートするというのが
課題だそうです。

既にOBの方が少数の系で調べているそうですが、
今回は、それを引き継いでの、より大きな系での、
シミュレーションだそうです。

方法論としては、J.Kanamoriの論文にある、
フーリエ法(Fourier Method)を用いて、
単位胞内での相互作用のみに対角(Diagonal)化された
形に持ち込むことで、計算負担を軽くして、
Fortranでのシミュレーションを試みるというものです。

何度も式をフーリエ変換するので、
頭の中が全然整理されていませんww

ですから、今日は一日論文や、ゼミのノートと格闘です。