私にとっての教員免許状
目次
目次
- はじめに
- 教職課程を取るときに考えていたこと
- 自身の遍歴
- 学者を目指すうえでのリスク
- 将来、用いるであろう経験・知識の獲得
- 教職課程を取ることで得たこと
- 獲得した視野
- 授業を通して
- 発達心理学
- 理科学
- 数学
- 教育工学
- スポーツ関連の基礎知識
- 人権環境
- 興味にを得て
- 脳科学・大脳生理学
- グループワーク
- 引きこもり
- 教育実習で得たこと
- 世代間ギャップ
- 現場の多忙さ
- 教師の不十分さ
- 現場の個人プレイ
- 教員免許状を取る意義
- リスク
- 啓蒙活動
- 教育関係者に求める事
- insight
- 科学的視点・固定概念をなくす
- 目的意識
- 学び方を教える
- まとめ
- 当初の目的と実際
- これから
- はじめに
- 教職課程を取るときに考えていたこと
- 自身の遍歴
- 学者を目指すうえでのリスク
- 将来、用いるであろう経験・知識の獲得
- 教職課程を取ることで得たこと
- 獲得した視野
- 授業を通して
- 発達心理学
- 理科学
- 数学
- 教育工学
- スポーツ関連の基礎知識
- 人権
- 環境問題
- 興味にを得て
- 脳科学・大脳生理学
- グループワーク
- 引きこもり
- 教育実習で得たこと
- 世代間ギャップ
- 現場の多忙さ
- 教師の不十分さ
- 現場の個人プレイ
- 教員免許状を取る意義
- リスク
- 啓蒙活動
- 教育関係者に求める事
- insight
- 科学的視点・固定概念をなくす
- 目的意識
- 学び方を教える
- まとめ
- 当初の目的と実際
- これから
教員免許状をすでに、ほとんど取得できる状況にある。本来的に教師を目指したわけでもないのになぜこの様な事態になったのか。それは、私自身のバックグラウンドから始まり、そこで生じてきた意義の追及というほかに適当な言葉が見当たらない。その中で、決して恥ずべきいい加減な気持ちで挑んだことなどなかった。むしろ教職課程の先生方の狭い了見や、古い知識の羅列に憤りを感じたぐらいである。教員免許状を取得する上での四年間の総決算として、教職課程と向き合ってきた自分と、その背景に関する事柄を、述べてみようと思う。
教職課程を取得することは、大学入学当初から、考えていた。それは自分自身が経てきた遍歴によるところがあるだろうし、専門を深める上で、研究者になれたとて、一教育者であることに変わりなく、なれなかったとしても学問にかかわる仕事としての教職が、十分に魅力的であると感じていたからである。
私の成績や言動を通じて、周囲は私を高みに追いやってはいくが、過去からのつながりを考えると実に不思議な状態にあるといえるだろう。それはつまり、私自身がいとも簡単に、関学に入学したわけでもないというべき事情からそう感じてしまう。
それなりの小学校生活の後、家庭や学校で、様々な問題が起きたことから中学校を一年半ばにて不登校となり、二年生で登校した日数はわずか30日であった。二年の終盤で学校復帰し、あれよという間に高校受験。合格した公立高校ですら、危ういとされた。
高校時代は、部活動と生徒会活動に没頭。成績も上位を占めたが、とても受験の世界に飛び込めるような状態ではなかった。
二年間の浪人中、合格は、二年目の関学と京産のみ。とても順風満帆とはいかなかった。むしろ不安な状態を2年間過ごしたといえよう。
大雑把であるが、大学入学までには、とてもじゃないが楽な時間はなかった。そのことが逆説的に他者への教育欲として、暗に明に生じてきた。それは、私自身が得てきた苦労への反発というべきか、問題意識の発散というべきか、そのような、フラストレーション反応であったと、今となっては感じている。
大学入学後、一番に求めたのは学友である。ともに学問の面白さを語り合う仲間を、心から求めた。そのために勉強してきたといってもよいだろう。それは同時に、将来の方向性として研究者を視野に入れることでもあった。しかしながら、実際は非常に難しいものであることが判明してきた。実際にそのことによって情熱がそがれた覚えはないが、実に大学院博士課程卒業者の半数以上が、定職についていないという現実である。二割ずつが、一般職と研究職。それ以外はポスドクと呼ばれる年次更新の雇われ研究者か、他の仕事で生活の糧を得ているかのどちらかである。
情熱を傾けて、学問を勉強するということは、それだけその本来的にあるべき姿、研究者への道を突き進むことでもある。結局として、その不安を解消する素材として教職免許状というものを取得する動きを得たことは否定のしようもない。
研究者を目指すことを考えていると、教職課程自体にそれなりの意義を見出せることも事実である。教職自体のそれは、一定の体系を得ており、並一通り科学、または数学というカテゴリーに入る分野に触れることができる。それは結局、高度に専門化された分野に深く入り込んでゆく上で、ひとつ灯火を得たようなもので、他の分野の知識が、全体像を教えてくれて、結果的に自然界に対するインサイトを深めてくれた。
加えて、研究者が同時に教育者でもあることを自覚するきっかけともなる。後進の指導、研究室でのリーダーシップ得るべき教育的側面の能力は多数ある。その能力は同時に自身の研究に多くの刺激を与え、たくさんの恩恵を与えてくれるであろう。単に教育課程といって、中高生の教育に留まらない側面を大きく受け止めたというべきだった。
教職課程という、カリキュラムは結局のところ、私の興味が向かうところ意外を新たに照らしてくれるきっかけともなった。
教職課程を通して得た知識、またはそれに裏打ちされた視野は、大きく分けて授業を通してのものと、派生した興味関心からのものの二つに分かれる。どちらの知識も大小を問わず大きく今日の私に影響を及ぼしているように感じる。一つ一つ丁寧に掘り起こしてゆきたい。
もっとも特徴的で、端的な影響を感じるのは発達心理学においてであろう。われわれが生きてゆくということ、知識を獲得してゆくということ、また、こうして社会生活を送ってい行くということが、まったく自然に行われるのではなく、周囲の大人たちの作為的な教育活動の成果として、多くの能力を獲得してきたことを知らしめてくれた学問であると思う。と同時に、肝心な核論に、この分野が踏み込めないもどかしさも感じた。それは結果として、大脳生理学、脳科学と呼ばれる分野へと、尾を引くこととなる。
専門と捕らえられるかもしれないが、例えば物理学者が化学や生物に関する事柄についてどれだけ知識を持っているかと問われれば、それはあまりにも乏しいといわざるを得ないだろう。それこそ高校で習う程度の知識である場合もあるし、それに怪我は得た程度とも言えるときもある。
単に面白いから、好きだからという気持ちだけで獲得はできない、大局観 と科学とは何ぞやという大きな疑問符を呈する結果となった。
この疑問符については、僕自身のブログで、深く追求する結果となり、将来にわたり、この考察の結果身についたinsightは非常に大きいものではないかと感じている。
特に物理を学んでいて、特出する疑問は、数学は科学かという根本的なものである。(上記の科学に関する議論において、この疑問符も大きな役割を果たすのであるが)
こうして数学という分野に深く踏み込むことができた要因としての教職課程は、一定の評価を得るべきものとなっていた。深みを付け加える原因となったといえよう。
教えることに対して、必要な準備や、意味づけの意義を習った。学ぶ上では個々の納得が行けばよいが、教える立場となるとそうはいかない。とくに個別に教えるのではなく、集団に教える場合、その難しさは露呈する。
自らの知識を、一段落として伝えるということの難しさを学んだ。
基本的な生活を見直す上でのひとつの視点が、この運動に関する知識軍であった。動物としての体と社会生活がマッチしていないために引き起こされる様々な現象や、筋肉の鍛え方に至るまで、それまで意識していなかった事実を与えてくれた。
人権とは「みんなちがってみんないい」と鈴木先生はおっしゃった。画一化を進めることで集団主義を導いてきた教職現場とは一線を画する言葉だと思う。
今思うと、個々人の違いがこの社会を動かす原動力となっており、違うからこそ役割分担ができて、違うからこそ好きなことにのめりこめる人々がいるということを気づかせてくれる。
環境問題の根本には、生物多様性の維持という目標が掲げられている。人工的な芝生や植林は、わずかな種類の樹木が植えられており、それが生物の多様性を脅かしている。そのことが、より高次の動物、つまり肉食獣などのえさを減らす結果となっていることをわれわれは知らなければならない。
酸素や二酸化炭素の排出などに単純化されたメディアの報道からは読み取れない情報があった。多様性こそが、自然界の均衡の安定性を生んでいることを認識させられた。
教育に関することがらを学ぶうちに最も触発されたのは、脳の性質についてであると思う。発達心理学に物足りなさを感じ、脳科学に関連する一般書を読み始めると、人の感情や、学習のあり方など、非常に深いinsightを与えてくれた。
人間が、どうしてそのように行動するかということが、経験化して見つめていたよりもさらに深いところでの判断ができるようになり、沢山の理由付けを行うことができたのは、まず社会で生きてゆく人として、大きなプラスであると感じているし、学習してゆく上での大きな指針を得たことになる。
大脳生理学や、脳科学と呼ばれる分野は、人間でありながら人間の行動に対して客観性を持つことができる大きなチャンスであると確信している。
まともにクラブ活動をしてこなかった私にとって、総合演習は実りの多いものとなった。リーダーとして全体を取り仕切ることを久しぶりに行い、その勘を取り戻すことができたとともに、いくつかの実験的試みをすることができた。
具体的成果を挙げるには、保守的に取り仕切るべきであったろうが、学習という意味で、大切なものを得たと考えている。
冒頭でも述べた、自身の経験や、教職課程を取っていることから、引きこもりに関する知識を収集することが多くなった。と同時に、インターネット上でのコミュニティで引きこもり経験者と引きこもりを対象にしたコミュニティを立ち上げることで、彼らの周辺にいる親たち、兄弟たちの苦悩も同時に垣間見ることができた。
引きこもりは、多様な面もあるが、ある程度の分類わけは可能であると思う。そうした彼らへの支援の形は、教育関係者や臨床心理学者、またそれを支援する保健所やNPO団体ではよく理解されていると感じているが、一般に十分とその対処法が行き渡っているとは思えない。先日も真剣に教職を目指している友人と話していると、この点に関する誤解を、会話の節々から感じた。
引きこもりに関する情報に触れる状態にあることは、自身の過去に関する清算ができるとともに、まだ十分に行き渡っていない引きこもりの新状態を伝えるという啓蒙活動の一翼を担っていると感じている。これからも支援によって多くの彼ら彼女らが社会復帰し活躍することを願っているし、活躍できる人々であると確信している。
教育実習において、華々しい時間をすごせたかといわれると、そうではなかった。全体として先生方の「疲れた」日常と、結果的にいい加減になっている判断基準ばかりが目に付いた。もう少し厳しい現場と、しっかりとした基準を持った(または持つ努力をした)現場を期待したが、いささか失望の念を隠せない。
プラスに評価すべきところとして、得られた経験は、現在の高校生たちと、私との世代間ギャップを感じれたところであると思う。
具体的には、授業中での振る舞いが、怠慢化している点である。授業直前になってもモノを食べていたり、授業中に化粧をしているといった行為が、われわれのころなら一人二人であったのが、一クラス3,4人の小グループが、みなしているという状態になっていた。子供っぽさが増したというべきだろうか。
机間巡視をしていると、学力差の中に、生徒があるために、授業がついていけないで投げ出している生徒と、授業がつまらなさ過ぎて投げ出している生徒とが、おしゃべりをしていたりした。我々の頃ならば、ついていけない生徒は、寝ているものだったが、ついていけない生徒は、授業中に説明したはずのところを、時をわきまえず発問したりしていた。今の生徒たちは(底辺校だからいえるのかもしれないが)より素直になっているようにも感じられた。
現場の多忙さは熾烈を極めていることも、実感として残った。日に授業や会議が3,4回、放課後の2,3時間で次の日の用意と、めまぐるしく毎日が過ぎていった。
しかし、その中で時間をかけて判断すべきところに時間を充てることができなかったり、熟慮なく経験だけでやり過ごしている場面が多数あった。
この様な状態では、理性的な行動は取れないだろう。何らかの手立てを打つべきと思う。
先にも述べたが、熟慮ない経験的判断のやたらな多用が問題だと思う。いくつかどうしてそういう風にしているのですかと、質問したことがあったが、そのほうがいいからだ。といった、答えになっていないものが多くあった。
現代は、時間の有り余っている学生生活と、時間がやたらと無い、社会人生活とが混在している状態にあり、その結果として、サブカルチャーが若者文化と同義語として定着し、世代間ギャップを生む象徴となっているように思う。そのことを考えると、経験的判断は、結局消費期限のある経験(時代観)に基づいており、そのようなものだけでの判断には限界があると思う。教師たちはそのことにもう少し向き合うべきだし、その上部組織は、その点をもっと汲み取るべきと感じた。
教育現場でのもうひとつ感じた大きな欠陥は、教員どうしの授業の相互評価が無いことだ。私が授業をしたときも、先生によって話されることはまちまちで、何を基準にして次の授業につなげるべきかが、定まりにくかった。
それは結局として、授業での経験を先生間で共有できておらず、統一的または、ある程度の普遍性をもった価値観の構築ができていないといわざるを得ないと感じた。
結果として先生方は個人プレーの連続となり、学校全体として生徒たちを導こうという姿勢がほころびだらけになる。生徒たちと接するうちに感じるのは、そういった価値観の相違に振り回されている生徒たちの、先生への信頼の無さだと思う。どの様に考えたとしても、個人プレーはもう少し考え直すべきであろう。それはつまり、熟慮する時間が無いという点にもつながるのかもしれないが。
以上は経験的側面ばかり特筆してきたが、私が免許状を取る意義はどこにあるのであろうか。その点について掘り下げてみようと思う。
一つ目の意義は、リスクマネージメントである。教員採用試験の倍率が高いとはいっても、研究職につくことを考えれば、はるかに簡単に就職ができる。大学院博士課程卒業者の6割は定職に就けず、よくても年次更新の不安定な職業についている。日本全体を見回しても1万人が定職についていないとも言われるデータがある。実際には2万人近いのではないかともいわれ、高学歴ワーキングプアとも言われている。これまでに述べてきた、教職課程を履修する上での利点と併せ持って、教員免許状の取得の意味は、不安定な世界に足を踏み入れる上でも、大きい。
一方でそれは不謹慎かもしれないが、キュリー婦人がかつて開いた、専門家とその子供たちの私設学校のことを考えると、理にかなっていないとはいえない。教える喜びで教師をするのはよいが、ある種の専門的な分野に対する愛情がないままで、教師をするのはどうかと思う。なぜその分野が面白いのか、またどのようにして世の中に役に立っているのかといったことを、平易に伝えることも教師の資質だと思う。
教育とは、学習者の社会的地位を現在の状態にかかわりなく、本人の能力によって設定しなおすための期間でもあると思うので、単に問題を解くためのテクニックを伝えるだけの教育や、計算方法を教えるということが、教育活動であるとはとても考えられない。皆が学者になるべきとは思わないが、その一部を理解し、柔軟に扱う能力は、間違いなく必要である。そのためには、知的好奇心を刺激し、その刺激によって得た理解や能力を、柔軟に応用する力が結局の所、社会での確実な成功を生むと思う。
大学の授業に不適応を起こし、就職手段としての教師を目指す人々に、この点は大きく欠落していると思う。彼らを卑下するわけではないが、教師として必要な能力を全て持つことは、容易なことではないものの、その欠落しがちな能力を持ったものの教育活動というのは、あってしかるべきである。学問を愛する人間として、たとえ研究者になれなくとも、その面白さを伝える活動の一端を担うことができるならば本望である。
いささか、繰り返しとなる事項が多くなってきたが、それは複合的に語っているためである。そのつど注目している事項が異なり、その周辺として繰り返しとなってしまう事柄が出てしまうことを注意していただきたい。
さて、上記のように述べたのは、教育関係者に対して求める事柄が、4.教育実習で得たこと 5.教員免許状の意義 の内容と重なっている部分が多いためである。つまり、教育関係者に求める事柄は、教育実習を通して得た経験から生じており、それを見つめなおすひとつの視点として、教員免許状の意義があったと忠告しておく。
現場の先生方の判断基準を鑑みていると、直感的、感情的な基準が多くあったと思う。何故そのように思うのかと問うたところで、満足の行く答えは返ってこない。学校の先生が変わると、学校の雰囲気自体がわかるのはこのためだと思う。先生方自身に、確信をもって行うべき(一般性のある)事柄というのが、沢山積み上げられていない事が原因だと思う。偏見や、了見の狭さが、「その人」の意見というものを作り出してしまい、結局経験の共有もできないままに、学校組織を組み立ててしまうために、個々が個人プレーをしてしまい、その結果、人により言うことがばらばらになってしまう。個人プレーができてしまうほどの人々が、そんなに沢山いるとは到底思えない。経験の共有と、学校全体を通しての教育活動をもう少し考えていただきたい。
上記とほとんど同様のことであるが、価値判断に対してもう少し述べておく。前述したように、世代間の思考ギャップは特に若者文化の中で生じやすい構造を持っている。そのことからすると、あらゆる場面において、何らかの前提でもってモノを見るべきでなく、ありのままを受け入れ、そのありのままがどうであるかよく考えた上で注意すべきである。自らの価値観を押し付ける方法論は、現代においてあまりにも似つかわしくない。それはつまり、ほとんどの場合古い価値観となっているからだ。自らの価値観を一度捨て、具体的に一つ一つ構築してゆく作業を現場には求める。それをしない限り、教師生徒間の溝は埋まらないと思う。
これまた、ほとんど同じことであるが、「自らの価値観を一度捨て、具体的に一つ一つ構築してゆく」時に、何故そのようなことを教えなければならないのか、また、何故そのような指導をしなければならないのかという点について、熟慮が不十分だと思う。繰り返しになるが、これがためにどれだけ議題になっても検討がされなかった議題が、先生が変わることによって、いとも簡単に承認されてしまうことになるのだと思う。現場に基づいた価値基準を一から作り直していただきたい。
大学進学を前にして、もっとも私に欠落していたのは、情熱でもなく、時間でもなく、どのようにして学ぶべきかということだった。学校現場は、将来的に知っておくべき事項を現場で学ばせていて、また、その学習経験により社会において、専門的な事柄を学習すべきとしておきながら、学習方法に対する指導は皆無である。私の経験からすると、学習方法は、小中高と塾に通ってきたような生徒ほど身にはついていると思うし、その結果、学習時間の差があまりないのにも関わらず、現れる結果に、格段の差がついているのだろと感じている。学ぶ場であるはずの学校現場で、学習方法に関する指導がまともにないのは、明らかに不自然である。前述した「教育とは、学習者の社会的地位を現在の状態にかかわりなく、本人の能力によって設定しなおすための期間でもある」という視点からして、あってしかるべきであると思う。
私にとっての教員免許状というタイトルで、これまで話してきた。その意識の部分が、教職課程を履修しようとした当初の目的と、実際を見てからはいささか変わったのも感じ取っていただいただろう。この変化と、これからをお話して、このレポートのまとめとしたい。
教職課程を履修しようとしたときの目的は、
2.1自身の遍歴
2.2学者を目指すうえでのリスク
2.3将来、用いるであろう経験・知識の獲得
であったことはお話した。現在のところそのほとんどの点で揺らぎはないが、教育実習に行くことで、いささか先生方への不信感が増したのは感じ取っていただいたことと思う。その中で得たことは、反面教師として、より彼ら彼女らを素直に見つめ直すことであり、より啓蒙的であることであった。しかしながら、あくまで教職を目指さない道を歩んでいることに変わりなく、そのような教師間の普及を望むのみである。
現在、大学院への進学が内定している。その先にあるものがどのようなものであるのか、不安とともにあることも間違いはない。かつて中国で行われた科挙試験。受験生の教育に当たっていたのは、受験に失敗した者たちであった。彼らは、注いできた情熱や、思いを、存分に学習者に教えていたであろう。あと二年の修士課程の猶予はあるものの、足の裏の米粒と気になるがとっても食えないと揶揄される博士課程への進学で悩むことだろう。そのときには、本気で教職を目指すときがくるかもしれない。
2 件のコメント:
面白いこと考えてるねぇ。
俺的にはボンちゃんは研究者よりも教師のほうが向いてるんじゃないかと考えています。単なる印象からやけど。
てかこれ投稿できるのかな?まえやったときはむりやったからさ
チャントできてんで~
心外やな~。
僕は勉強は下手やけど、
原点から立ち返って、もの見る力は、
結構通用する気はしてるんやけど。
実際に、いくつか教科書に載ってないこと見つけてるし。。。
まぁ
この批判を、きっちりと教職センターの先生方が受け止めてくれていることを願ってやまないわ。
ホンマ
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