数学専攻の3回生が、研究室配属を決めるために、うちの研究室に遊びにきた。
僕自身は、数学に所属しているが、それほど数学が得意というわけではない。
もともと物理だから物理が(得意かはわからないが)好きだ。
しかし、数学をメインに勉強してきた彼からすると、
うちの研究室は、かなり異質に感じたことだろう。
山のようにある数学的な課題と、
必要とされる膨大な知識。
数学、物理、化学、生命科学、情報科学、数値計算
あらゆる知識を要求する上に、
セミナーが英語で行われているという
とてつもない負荷だ。
僕は、所属していた学部が物理学科で、
その下に物理専攻、数学専攻とあったので、
数学については、単位制限をオーバーしながらチョクチョク受けていた。
理科系の他の科目については、
教職免許の理科と、数学を取る時に、勉強する機会があった。
おかげで、いまは研究室になじめている。
4年生から、配属しようとして来れる学部は、
生命科学と、数学。
はたして、彼らに
ウチの研究室に入ってこれるだけの度量があるんだろうか。
もし入ってこれる生徒がいたなら、
彼は、きっと素晴らしい能力の持ち主だろう。
そんなときに、僕はうまくやっていけるだろうか。
恥ずかしくない知識を持ち合わせているだろうか。
研究室には、分子化学夏の学校の
かつてのトップ2とも言える人がいる。
そんな中で、自分のポジションを得ていかなければならない。
今甘えても、
いずれ、今よりもスケールの大きいところで、
ポジションを得る必要に迫られる。
恥ずかしくない人間にならなくては。
This Blog "Scientific View" is from Japan, blordcasted by aohmusi (physics student). In this site I will blordcast you some interest thing for ME. Then FOR ME, I love to study science, so this blog has a scientific view. Please feel free to contact and tell me how do you think about my Views.
2008年12月11日木曜日
女性研究者
今日は研究室に、素敵な女性ヴィジター
(3,4日泊まって研究交流する、研究室のボス(研究を直接はせず、研究員や学生にテーマを配分し、他の研究室との交流や、予算、授業などをしながら、研究室の舵を取る人))
がいらっしゃいました。
女性だから云々とは言いたくないのですが、
はじめての女性ビジターで、とても研究の質が高い
ということをうれしく思いました。
理系白書(毎日新聞社編)で述べられているとおり、
日本の女性研究者は、妊娠・出産をディスアドバンテージにされて
なかなかポジションを得ることができません。
それどころか、学部、修士、博士、ポスドク、研究員、助教、準教授、教授
とポストが上がるにつれて、「比率が」下がってゆくのです。
なぜ彼女らの才能を生かすシステムを作らないのでしょうか
本当に心から憤りを感じます。
外国人研究者の件もそうですがね。
しかし、彼女の研究内容は、とても高度で
何より驚いたのは、彼女が物理的な分野にいる事でした。
しかも理論家として。
これは、僕の偏見(といいうより感想)ですが、
女性の研究者や学生は、特に物理の理論分野は苦手だということを感じていたのです。
数学や、化学、生命科学、計算物理などの分野は、存分に女性の力が発揮できる
と感じていたのですがね。
だったのでとても驚きです。
明日、インフォーマルディスカッションがあるので
とっても楽しみです。
ロシヤ出身だそうなので、
ランダウの話が聞けるといいですが。。
(3,4日泊まって研究交流する、研究室のボス(研究を直接はせず、研究員や学生にテーマを配分し、他の研究室との交流や、予算、授業などをしながら、研究室の舵を取る人))
がいらっしゃいました。
女性だから云々とは言いたくないのですが、
はじめての女性ビジターで、とても研究の質が高い
ということをうれしく思いました。
理系白書(毎日新聞社編)で述べられているとおり、
日本の女性研究者は、妊娠・出産をディスアドバンテージにされて
なかなかポジションを得ることができません。
それどころか、学部、修士、博士、ポスドク、研究員、助教、準教授、教授
とポストが上がるにつれて、「比率が」下がってゆくのです。
なぜ彼女らの才能を生かすシステムを作らないのでしょうか
本当に心から憤りを感じます。
外国人研究者の件もそうですがね。
しかし、彼女の研究内容は、とても高度で
何より驚いたのは、彼女が物理的な分野にいる事でした。
しかも理論家として。
これは、僕の偏見(といいうより感想)ですが、
女性の研究者や学生は、特に物理の理論分野は苦手だということを感じていたのです。
数学や、化学、生命科学、計算物理などの分野は、存分に女性の力が発揮できる
と感じていたのですがね。
だったのでとても驚きです。
明日、インフォーマルディスカッションがあるので
とっても楽しみです。
ロシヤ出身だそうなので、
ランダウの話が聞けるといいですが。。
2008年11月29日土曜日
2008年11月26日水曜日
The establishment of the "Law of Newton"
◆座標系と実験系【数理科学】〈数学+初期物理〉
幾何公理・幾何学
鉛直・水平座標系
→直交(デカルト)座標系、ベクトル座標系
◆質量・重力と運動【物理科学】
幾何天秤実験 → 同じ・違う(重い・軽い)
落体実験 … 質量によらない運動
滑車と重りによる水平運動実験 … 質量(重力)による運動 → 重力仮説
◆運動の恒量と慣性系、散逸構造の近似的扱いの可能性【物理科学】
振り子、レール実験 … 質量によらない運動 → 運動の恒量仮説、摩擦仮説
非対称レール実験 … 等速直線運動仮説、摩擦仮説
船(動体)上実験 … 慣性系仮説
→速度変化率(加速度)と力仮説【物理科学】
→微積分学【数理科学】・古典力学【物理科学】
幾何公理・幾何学
鉛直・水平座標系
→直交(デカルト)座標系、ベクトル座標系
◆質量・重力と運動【物理科学】
幾何天秤実験 → 同じ・違う(重い・軽い)
落体実験 … 質量によらない運動
滑車と重りによる水平運動実験 … 質量(重力)による運動 → 重力仮説
◆運動の恒量と慣性系、散逸構造の近似的扱いの可能性【物理科学】
振り子、レール実験 … 質量によらない運動 → 運動の恒量仮説、摩擦仮説
非対称レール実験 … 等速直線運動仮説、摩擦仮説
船(動体)上実験 … 慣性系仮説
→速度変化率(加速度)と力仮説【物理科学】
→微積分学【数理科学】・古典力学【物理科学】
2008年11月22日土曜日
科学と研究
**以前 Life of Study で書いたものを少し改良**
◆はじめに
前回は「科学とは」という問いに対して「思考様式である」という結論を導いました。
詳しくは前回「科学とは」を参照を参照してください。
今回の話は、前回の続きで、その研究手法についての話です。
科学は、現象に依拠した原理を立てることによって、合理的に説明すること
と話しましたが、今回は
「現象」とは何なのか、
「原理を立てる」とは何なのか、
「合理的に説明」とは何なのか、という話です。
ここでのキーワードは帰納法と演繹法です。
◆準備
帰納法と演繹法を理解するうえで重要なキーワードは「必要十分条件」の理解です。
必要十分条件とは、必要条件が成り立ち、なおかつ、十分条件が成り立つ条件のことです。
では必要条件とは何だったのだのでしょうか。
必要条件とは、
任意の(ありとあらゆる)集合Aにおいて、
(ある〔集合である〕事象(評価する対称)Bが存在して、その)
事象Bが、集合Aを含む時、
事象Bに対して、集合Aが必要条件であるという。
十分条件とは何だったのでしょうか。
十分条件とは、
任意の(ありとあらゆる)集合Cにおいて、
(ある〔集合である〕事象(評価する対称)Bが存在して〈ここまでは同じ〉その)
集合Cが、事象Bを含む時、(逆になってることに注意)
事象Bに対して、集合Cが十分条件であるという。
簡単に言ったら、集合の元(要素)の数は
A<B<C
(等号を含む)になっています。(お分かりいただけたでしょうか…)
◆歴史的背景
近代科学が生まれたのは、間違いなくヨーロッパです。
そのヨーロッパにおいて、大きな派閥が存在しました。
イギリスとフランスにおいてのことです。
彼らは、帰納法と演繹法という二つの手法のどちらが、
科学をするうえで正しいのかという点で、争っていました。
帰納法とは、様々な情報や経験を元に
自然法則を見つけようという視点です。
演繹法とは、様々な仮説を元に、
自然法則を説明しようという視点です。
この争いは、実は両方を用いることが正しいという決着を得ました。
すなわち
帰納法とは実験であり観測あり、
演繹法とは理論であり仮説であります。
ここに近代科学の基礎ができたといっていいと思います。
◆科学の中の必要十分
この争いは、実は両方を用いることが正しいという決着を得ました。
すなわち
帰納法とは実験であり観測あり、
演繹法とは理論であり仮説であります。
と申し上げました。
では具体的な、研究過程とはどのようなものなのでしょうか。
帰納的な研究、つまり実験や観測によっては、正確に現象を捉えることができても
その背後にある、要素にまで迫れません。
演繹的な研究、つまり理論や仮説を立てることによっては、現象を説明することができても
机上の空論、つまり、実際にそうであるかという部分が欠けています。
ここで持ち出したいのは、
冒頭で述べた、必要と十分です。
実験や観測によって、現象に迫る手法は、
観測結果が、ある現象を「含んでいる」ことはわかっても、
その現象だけであるとはいえません。
例えば、時間と位置と温度を測定したとしても、
実際に、現象に関わるものがそのうち二つしかない(実際にはそれすらわからない)と
情報過多になり、何が本質かを見極めなければなりません。
ほかにも、観測したい粒子の位置情報を得るときに、
できれば一つの粒子の情報をずっと追い続けたい
けれども、観測する為には、沢山のほかの粒子も観測しなければ測定できないことがあります。
これはつまり、統計的な観測しか出来ない状況で同じく情報過多ですね。
つまり、現象よりも大きな事象を観測したことになるのです。
これは必要十分における、
事象に対しての十分条件に他ならないといえます。
理論や仮定によって、現象に迫る手法は、
それらの仮説によって成立した事柄から、ある現象の「要素(らしきもの)を特定できた」といえても、全ての要素が捕らえれたわけではありません。
もしそうならば、この世の中の根源的な物理法則を見つけたことになります。
つまり、実際の現象よりも小さな事象を説明したことになるのです。
これは必要十分における、
事象に対しての必要条件に他ならないといえます。
簡単に言ったら、集合の元(要素)の数は
A<B<C
といいましたが、
研究において、
(理論)<(現象)<(実験)
であり、より現象に迫った理論や実験をすることによって
真理に迫ろうというのが科学的研究手法です。
◆科学と必要十分から何が言えるのか。
この研究手法は、もちろん科学的です。
つまり、原理原則を、現象に依拠することによって
覆す可能性があるのです。
しかし、実際には覆すという言い方は正しくないかもしれません。
前回も、特解であると言いましたが、
ある仮説が、ある事象を説明できたと言うことは
(仮説で立てた)要素自体は含んでいたことになります。
したがって、それまで立てられた理論を、
もう一度、新たな要素を含む(またはより根源的な要素を仮定する)ことによって
理論を立て直す必要が生まれます。
これによって、それまでの視点が覆る(新たな要素を入れる必要がある)
可能性があるということなのです。
少し首尾一貫していませんが、
仮説から理論を導くので、
仮説が十分現象を捉えきれていなければ、
理論が間違っているということがあるということに、
注意してください。
科学は厳密に現象を捉えることは可能ですが、
理論から生まれた、科学的知識が、普遍性があるとは限りません。
むしろ、正確な議論ほど、
「~である可能性が高い」「~と考えられる」といった、
現象に対する謙虚さが必要になります。
それは、あくまで我々が「説明している」現象は、
仮説をもって「説明している」のであって、説明し切れているとはいえません。
ただ言える事は、ある程度の「確からしさ」をもって「説明している」出来ている
ということでしょう。
「買ってはいけない」と断言することは言語道断ですし、
「買ってはいけないは買ってはいけない」と言うことも言語道断です。
そもそも、断言できるほどの知識など、人間は持ち合わせていません。
あくまで、可能性があると言うのが正確な議論になります。
この点を勘違いされている方が多いと感じています。
ご注意ください。
◆おまけ
ちなみに、こうやって議論をすること(論を述べること)は
一般に、必要条件を繰り返し用いています。
つまり、Aが成り立てば、Bが成り立たなければならない
という話の仕方をしています。
皆さんが、あっ!そうだなと感じた時に、
つまり、経験と照らし合わせて、それに合致したときに、
必要十分に近づきます。
しかし、人間の現象を捉える「感度」は、
変化に対して敏感なのは確かめられているようですが、
それが、正確に現象を捉えることに繋がらない(基準がそのつど変わる)
ので、必要の部分がいくら正確であっても、
十分性を人間の感覚に頼るのは危険です。
ご注意ください。
(と言ってしまうと、この議論すら無意味意なるのですが…)
*************************
この内容の論理記号を用いた具体的な標記が存在します
何分、論理記号を用いている為、掲載できません。
読みたい方はご一報ください。
*************************
◆はじめに
前回は「科学とは」という問いに対して「思考様式である」という結論を導いました。
詳しくは前回「科学とは」を参照を参照してください。
今回の話は、前回の続きで、その研究手法についての話です。
科学は、現象に依拠した原理を立てることによって、合理的に説明すること
と話しましたが、今回は
「現象」とは何なのか、
「原理を立てる」とは何なのか、
「合理的に説明」とは何なのか、という話です。
ここでのキーワードは帰納法と演繹法です。
◆準備
帰納法と演繹法を理解するうえで重要なキーワードは「必要十分条件」の理解です。
必要十分条件とは、必要条件が成り立ち、なおかつ、十分条件が成り立つ条件のことです。
では必要条件とは何だったのだのでしょうか。
必要条件とは、
任意の(ありとあらゆる)集合Aにおいて、
(ある〔集合である〕事象(評価する対称)Bが存在して、その)
事象Bが、集合Aを含む時、
事象Bに対して、集合Aが必要条件であるという。
十分条件とは何だったのでしょうか。
十分条件とは、
任意の(ありとあらゆる)集合Cにおいて、
(ある〔集合である〕事象(評価する対称)Bが存在して〈ここまでは同じ〉その)
集合Cが、事象Bを含む時、(逆になってることに注意)
事象Bに対して、集合Cが十分条件であるという。
簡単に言ったら、集合の元(要素)の数は
A<B<C
(等号を含む)になっています。(お分かりいただけたでしょうか…)
◆歴史的背景
近代科学が生まれたのは、間違いなくヨーロッパです。
そのヨーロッパにおいて、大きな派閥が存在しました。
イギリスとフランスにおいてのことです。
彼らは、帰納法と演繹法という二つの手法のどちらが、
科学をするうえで正しいのかという点で、争っていました。
帰納法とは、様々な情報や経験を元に
自然法則を見つけようという視点です。
演繹法とは、様々な仮説を元に、
自然法則を説明しようという視点です。
この争いは、実は両方を用いることが正しいという決着を得ました。
すなわち
帰納法とは実験であり観測あり、
演繹法とは理論であり仮説であります。
ここに近代科学の基礎ができたといっていいと思います。
◆科学の中の必要十分
この争いは、実は両方を用いることが正しいという決着を得ました。
すなわち
帰納法とは実験であり観測あり、
演繹法とは理論であり仮説であります。
と申し上げました。
では具体的な、研究過程とはどのようなものなのでしょうか。
帰納的な研究、つまり実験や観測によっては、正確に現象を捉えることができても
その背後にある、要素にまで迫れません。
演繹的な研究、つまり理論や仮説を立てることによっては、現象を説明することができても
机上の空論、つまり、実際にそうであるかという部分が欠けています。
ここで持ち出したいのは、
冒頭で述べた、必要と十分です。
実験や観測によって、現象に迫る手法は、
観測結果が、ある現象を「含んでいる」ことはわかっても、
その現象だけであるとはいえません。
例えば、時間と位置と温度を測定したとしても、
実際に、現象に関わるものがそのうち二つしかない(実際にはそれすらわからない)と
情報過多になり、何が本質かを見極めなければなりません。
ほかにも、観測したい粒子の位置情報を得るときに、
できれば一つの粒子の情報をずっと追い続けたい
けれども、観測する為には、沢山のほかの粒子も観測しなければ測定できないことがあります。
これはつまり、統計的な観測しか出来ない状況で同じく情報過多ですね。
つまり、現象よりも大きな事象を観測したことになるのです。
これは必要十分における、
事象に対しての十分条件に他ならないといえます。
理論や仮定によって、現象に迫る手法は、
それらの仮説によって成立した事柄から、ある現象の「要素(らしきもの)を特定できた」といえても、全ての要素が捕らえれたわけではありません。
もしそうならば、この世の中の根源的な物理法則を見つけたことになります。
つまり、実際の現象よりも小さな事象を説明したことになるのです。
これは必要十分における、
事象に対しての必要条件に他ならないといえます。
簡単に言ったら、集合の元(要素)の数は
A<B<C
といいましたが、
研究において、
(理論)<(現象)<(実験)
であり、より現象に迫った理論や実験をすることによって
真理に迫ろうというのが科学的研究手法です。
◆科学と必要十分から何が言えるのか。
この研究手法は、もちろん科学的です。
つまり、原理原則を、現象に依拠することによって
覆す可能性があるのです。
しかし、実際には覆すという言い方は正しくないかもしれません。
前回も、特解であると言いましたが、
ある仮説が、ある事象を説明できたと言うことは
(仮説で立てた)要素自体は含んでいたことになります。
したがって、それまで立てられた理論を、
もう一度、新たな要素を含む(またはより根源的な要素を仮定する)ことによって
理論を立て直す必要が生まれます。
これによって、それまでの視点が覆る(新たな要素を入れる必要がある)
可能性があるということなのです。
少し首尾一貫していませんが、
仮説から理論を導くので、
仮説が十分現象を捉えきれていなければ、
理論が間違っているということがあるということに、
注意してください。
科学は厳密に現象を捉えることは可能ですが、
理論から生まれた、科学的知識が、普遍性があるとは限りません。
むしろ、正確な議論ほど、
「~である可能性が高い」「~と考えられる」といった、
現象に対する謙虚さが必要になります。
それは、あくまで我々が「説明している」現象は、
仮説をもって「説明している」のであって、説明し切れているとはいえません。
ただ言える事は、ある程度の「確からしさ」をもって「説明している」出来ている
ということでしょう。
「買ってはいけない」と断言することは言語道断ですし、
「買ってはいけないは買ってはいけない」と言うことも言語道断です。
そもそも、断言できるほどの知識など、人間は持ち合わせていません。
あくまで、可能性があると言うのが正確な議論になります。
この点を勘違いされている方が多いと感じています。
ご注意ください。
◆おまけ
ちなみに、こうやって議論をすること(論を述べること)は
一般に、必要条件を繰り返し用いています。
つまり、Aが成り立てば、Bが成り立たなければならない
という話の仕方をしています。
皆さんが、あっ!そうだなと感じた時に、
つまり、経験と照らし合わせて、それに合致したときに、
必要十分に近づきます。
しかし、人間の現象を捉える「感度」は、
変化に対して敏感なのは確かめられているようですが、
それが、正確に現象を捉えることに繋がらない(基準がそのつど変わる)
ので、必要の部分がいくら正確であっても、
十分性を人間の感覚に頼るのは危険です。
ご注意ください。
(と言ってしまうと、この議論すら無意味意なるのですが…)
*************************
この内容の論理記号を用いた具体的な標記が存在します
何分、論理記号を用いている為、掲載できません。
読みたい方はご一報ください。
*************************
2008年10月21日火曜日
京都に出張
今度の木曜から3日間京都に出張します。
僕の研究テーマが
研究室の李さん(僕の指導教官)がプリゴジンスクールでしていたD論
の続きに決まったので、
その分野(統計力学)の先生方のサマースクールみたいなもの?
があるので、そこでその分野の先生方を僕に紹介したいそうです。
まだ少し早いですよねw
生物物理分野の研究室にいるので、
手元の手法が理論物理でも、
聞く話が生命現象ばかりなので、
物理の話にどれくらい付いていけるかは少し不安です。
勉強してるのも、力学系とリー正準変換っていう数学的なゴリゴリの古典力学ですから。。
ちなみに、大阪に寄れるかどうかはわかりません。
たぶん晩は飲み会でしょうし、
奥さんとお子さんも連れて行かれるようですから、
観光も付き合うことになるでしょう。
それより僕は、吉光先生(関学での指導教官)を
晩の飲み会に誘っていいのか気になっているのですがw
僕の研究テーマが
研究室の李さん(僕の指導教官)がプリゴジンスクールでしていたD論
の続きに決まったので、
その分野(統計力学)の先生方のサマースクールみたいなもの?
があるので、そこでその分野の先生方を僕に紹介したいそうです。
まだ少し早いですよねw
生物物理分野の研究室にいるので、
手元の手法が理論物理でも、
聞く話が生命現象ばかりなので、
物理の話にどれくらい付いていけるかは少し不安です。
勉強してるのも、力学系とリー正準変換っていう数学的なゴリゴリの古典力学ですから。。
ちなみに、大阪に寄れるかどうかはわかりません。
たぶん晩は飲み会でしょうし、
奥さんとお子さんも連れて行かれるようですから、
観光も付き合うことになるでしょう。
それより僕は、吉光先生(関学での指導教官)を
晩の飲み会に誘っていいのか気になっているのですがw
2008年10月5日日曜日
流声群
・吉光先生の言葉
先生の指導教官、松原先生がどんな小さな計算でも、書いたメモは残しておいた方が言いとおっしゃっていたらしい。
日々の勉強の中で、痛感させられる。
三種類の学者。腕力型、総合型、発想型。
・Tomio Petrosky先生の言葉
ルールや社会通念は、人々から無駄な思考を省いてくれる。
コミュニケーションの一つのあり方として考えさせられる。
・読む
精読、粗読
・Professional
刺激を受けなくなってきた。
彼らの思考に慣れてきたのだろうか、それとも制作側の癖を読み取ったんだろうか。
・週に15単語
Noteに書く、これで充分。
・タイピング
川島隆太先生が単純計算を頭のウォーミングアップとして薦めていた。
朝一番にするといいかも知れない。
先生の指導教官、松原先生がどんな小さな計算でも、書いたメモは残しておいた方が言いとおっしゃっていたらしい。
日々の勉強の中で、痛感させられる。
三種類の学者。腕力型、総合型、発想型。
・Tomio Petrosky先生の言葉
ルールや社会通念は、人々から無駄な思考を省いてくれる。
コミュニケーションの一つのあり方として考えさせられる。
・読む
精読、粗読
・Professional
刺激を受けなくなってきた。
彼らの思考に慣れてきたのだろうか、それとも制作側の癖を読み取ったんだろうか。
・週に15単語
Noteに書く、これで充分。
・タイピング
川島隆太先生が単純計算を頭のウォーミングアップとして薦めていた。
朝一番にするといいかも知れない。
2008年7月26日土曜日
サマースクール
生物物理 夏の学校 に 参加せよ !!
と、先生にご指導いただいた(笑)ので、東京は八王子セミナーハウスまで行ってまいりました。
行く前は、
どのくらいのモチベーションをもっている人たちか
どのくらい知識を持って、どのくらい頭の回転が速いのか
すごく、気になって少し不安でした。
僕自身、生物物理という言葉に持つイメージは、
関学で受けたイメージのままで、それまで
S川先生のNMRたんぱく質構造決定
K藤先生の膜分子の熱力学的性質
で、物理の側から見た生物という印象でした。
初日、9時過ぎの飛行機という朝早い便で、
遅れるまいと、6時半ごろおきて、がんばっていました。
例のごとく、非常に眠たくて、
うとうとしている割に、乗換えが多くてゆっくり寝れず。。。
ちなみに、羽田空港は初めてでした。
だって、大阪からわざわざ飛行機で行きませんよw
東京では、北野からバスで向かうつもりが、
調べていた電車に乗り遅れたおかげで、
どうも、南大沢から乗ることになってしまいました。。
数分遅れで、会場に到着。
早速オープニングセミナーに参加しました。
この話は、実験の話の上に、
話が古すぎて眠い。。。
そのまま夕食へ。
このときは、確か違う研究室の人と話したかな。。
記憶がないww
交流会
席がなんだか、名札で決められて、
そこで待っていると、やけに人数が少なくて、
(他の8人ほどに比べて4人ほどしかいない)
おかしいなぁって言っていると、
グループにスタッフがいるので、スタッフの指示に。。
っていない。。。
そうすると、司会をしていた夏の学校の学長(M2ですw)
がこっちに走ってきて、参加しました。
ついでに人が少ないから、オープニングセミナーの
元生物物理学会の会長さんがいらっしゃいました。
それぞれ、自分の研究内容などを話していると、
色々気になって、突っ込むんですが、
どうも、その突っ込み方が、難しかったようで。。。
僕の番になって、研究していないので、
研究室の紹介をすると、ぜんぜん伝わらないw
話していると、空気が固まってしまって
よくよく話を聞くと、
一般の方が一人と、情報から参加したばかりの方が一人
他は、女性なので(偏見かも知れませんが)理論的に弱かったのかも知れません。。。
終了して、ポスター発表会へ
伝わらなかったことに、少々ショックを受けながら、
交流会とは違う方との交流をせよとの事で、
てきとーに。。。
ポスターセッションが終わっても、
なんか、飲み会が終わらない。。。
結局、施設を借りれる制限時間いっぱいの
2時まで、グダグダしてました。。
床に就いたのが3時。
朝7時起床
眠いので8時30分まで寝た。
8時-9時が朝ごはんで、ギリギリ。
9時から分科会スタート
ちょっと遅刻
眠い。。。
爆笑問題の日本人の教養に出ていた上田先生
専門は体内時計。
ほとんどの細胞は、リズムを刻んでいるという
全体のリズムを保っているのは、脳内の
視覚なんとか核とかいう、目から来た刺激を感じ取る細胞の
後ろにあるナントカというところ。
そこが一定のリズムを刻んでいて、
他の細胞は、それに合わせているという。
次は。。寝た。
起きたら、すごい話をしている。
ゴルジ体を、50nmの精度で3Dリアルタイムで見た
蛍光顕微鏡(多分)の話
よく聞くと、光の分散で、普通は解析不可能になる領域を、
コンボリューション(具体的に何を示すのか不明)
要は、光が分散する式を逆に利用して計算しなおしたという話。
突っ込んだ予算が5億円。
物理の実験では、そう珍しい額じゃあないはずだけど
皆さんびっくりされてました。
ちなみに、お二人とも理化学研究所の方。
三人目は、生体膜だけど
化学平衡などに少し関係した話。
生体膜で起きるスイッチングで重要な役割を示すイオン
そのイオンの濃度って、たんぱく質を通って、細胞に入ると
その周辺の濃度が当然下がるはずなんよなぁ
濃度から見ると、膜タンパクの周りに数個しかイオンがいない状態。
そのイオンの流入でおきた現象を観察しても、
正確に膜タンパクとイオンの関係を導き出せないという話。
先生は、膜にずっとイオンを含んだ(多分)水と流し続けて
それで、膜の性質を定量定期に計った。
確かこんな話でした。
専門とは離れているから、知識が曖昧。。。
この日の晩は口頭発表
わが研究室のT氏も発表した。
少しうれしかったのが、
ブルーバックスのミリオンセラー保持者
池谷先生と同じ研究室の方のプレゼン。
内容は、海馬の神経細胞500個ほどの活動を
同時計測したという話。
要は、データの量が半端じゃないし、
もともと依頼されてした仕事だから、誰かしてください
というもの。
しかし、プレゼンの内容は秀逸。
まったくよどみなく、流れるかのようなスピーチだった。
ひとつのスライドにかけた時間が数秒というのもすごい。
この日もグダグダ話していて、
結局寝たのが3時ぐらい。
眠い。。。
三日目。
同様に遅刻しそうになりながら、朝ごはん。
一コマ目は神戸大の郡司ペギオ先生。
なんだか話が見えない。
眠いのもあいまって、質問はしたが、よくわからんまんまだった。
脳がテーマのシンポジウムへ。
一人目は東大の総合文化の川戸先生
男性ホルモン、女性ホルモンと、脳内物質について。
この先生、ミラーニューロンを知らないで、自閉症を語ろうとした。
少し遅れている気がする。。。
二人目は、理研の深井先生。
神経回路の話。
昔見つかった有名な非線形の回路モデルを単純化したものを
さらに発展させたという話。
原理的な部分が見えず面白くない。
寝た。
三人目は、多賀先生
発達段階の行動パターンを解析してらっしゃろう方です。
中でも目立ったのが、赤ん坊が何気なくしていた
手や足をじたばた振り回すしぐさ。
歳をとるにつれて、複雑になるそうです。
話の内容はほとんど発達科学。
後半、簡易MRIや、光トポグラフィーだっけ
を使った脳のイメージングを用いた研究の話が出てきたが、
時間足らず。
後半にもっと割いてほしかった。
今回というか立食パーティ。
グダグダと話した。
晩にまた交流会。
この会は、結構盛り上がった(僕の中ではw)
中でも、東大の宇宙物理のM2が郡司先生の話を聞くためにわざわざ参加しに来ていて、
色々と、その背景を聞けた。
どうも郡司先生は、
チューリングマシンでは、含まれていない演算を含もうとしていた様だ。
チューリングマシンに含まれる論理演算は、
ある集合を沢山集めてきて、
その中に含まれる論理を帰納的に求めて使っている。
つまり、論理の取り残しの可能性があって、
先生はそれを自分なりに掴もうとしていた。
「蛙が鳴くと雨が降る」
という理屈は、蛙の次に雨が降るという順序がある。
「蛙が鳴く」ならば次に「雨が降る」であって
この二つが等価であっても
「雨が降ると蛙が鳴く」とは時間的順序が異なる。
という話だ。
あっそ。
彼と盛り上がったのは僕が提示している価額の定義について。
実は、このブログではほぼ完成した版を載せていない。
それは、したつき文字を使っていて、
単に移すのがめんどくさいからだけれども、
今回その完成した理論を彼にぶつけてみた。
彼にとっての発見は、
科学は、自然現象に対して言葉を定義しているがゆえに、
その言葉と論理(チューリングマシン多分。。)にでもって
議論する上においては、正確に言葉が扱える
という、僕が学部生時代に思いついた考えだ。
彼は、同時に北大の数学専攻若手の会のような
セミナーが年一回あることを教えてくれた。
ぜひ参加したい。
次に盛り上がったのは、環境問題をもっと考えるべきだ
といっていた女性だ(何をしているのかまったく聞く機会はなかったw)
僕自身は、ディベートしている人たちの中心に入って、
議論を奪い取り、持っている知識を吐き出したに過ぎなかったが、
食いかかってきた先輩と議論になり、面白かった。
最後には、金子研のM1三人組とのだべり。
第一義的に、彼らの知識レベルの高さに圧倒されたし
すごしている緊張感のある日々が少しうらやましかった。
彼らに追いつくのに何年かかるだろうか。。。
まぁ、ただ9割は金子研ローカルな話と女の話で、
僕はぜんぜんついていけなかったw(そっちかいw)
ちなみにこの日は、三人と徹夜。
途中女性陣も数名加わっていた。
4日目。
お茶の水女子大の学長先生の話。
お茶大は、すばらしいことに勿論女子大でありながら
ちゃんと理科系研究室を備えている。
理論物理や数学など、女性がなかなか進出できていない分野にも
ぜひ沢山人材を送り込んでほしいものだ。
ただし、この学長先生の話は、
惰性ばかりで、論理にはまとまりがない。。。
思いつくことを並べているに過ぎず、かなり眠かった。
計算物理で子持ちの女性研究者のさきがけになったような方だが、
こんなに頭が整理されていないものか。。。
この日の夕方9時ごろ、セミナーハウスの最寄り駅
八王子で無差別殺傷事件があった。所謂通り魔事件だ。
アルバイトの女子大生が死亡したらしい。
セミナーは、午前中で終わり、都心部に向かう人は
北野の駅に向かったので、問題なかったが
本当に殺人事件は、起こした人間と、された人間の周りの人が
非常に不幸になってしまう。
自分ひとりで生きていないということを、
もう少し実感していれば、彼もあんな事をしなかったろうに。。。
悔やまれてならない。
と、先生にご指導いただいた(笑)ので、東京は八王子セミナーハウスまで行ってまいりました。
行く前は、
どのくらいのモチベーションをもっている人たちか
どのくらい知識を持って、どのくらい頭の回転が速いのか
すごく、気になって少し不安でした。
僕自身、生物物理という言葉に持つイメージは、
関学で受けたイメージのままで、それまで
S川先生のNMRたんぱく質構造決定
K藤先生の膜分子の熱力学的性質
で、物理の側から見た生物という印象でした。
初日、9時過ぎの飛行機という朝早い便で、
遅れるまいと、6時半ごろおきて、がんばっていました。
例のごとく、非常に眠たくて、
うとうとしている割に、乗換えが多くてゆっくり寝れず。。。
ちなみに、羽田空港は初めてでした。
だって、大阪からわざわざ飛行機で行きませんよw
東京では、北野からバスで向かうつもりが、
調べていた電車に乗り遅れたおかげで、
どうも、南大沢から乗ることになってしまいました。。
数分遅れで、会場に到着。
早速オープニングセミナーに参加しました。
この話は、実験の話の上に、
話が古すぎて眠い。。。
そのまま夕食へ。
このときは、確か違う研究室の人と話したかな。。
記憶がないww
交流会
席がなんだか、名札で決められて、
そこで待っていると、やけに人数が少なくて、
(他の8人ほどに比べて4人ほどしかいない)
おかしいなぁって言っていると、
グループにスタッフがいるので、スタッフの指示に。。
っていない。。。
そうすると、司会をしていた夏の学校の学長(M2ですw)
がこっちに走ってきて、参加しました。
ついでに人が少ないから、オープニングセミナーの
元生物物理学会の会長さんがいらっしゃいました。
それぞれ、自分の研究内容などを話していると、
色々気になって、突っ込むんですが、
どうも、その突っ込み方が、難しかったようで。。。
僕の番になって、研究していないので、
研究室の紹介をすると、ぜんぜん伝わらないw
話していると、空気が固まってしまって
よくよく話を聞くと、
一般の方が一人と、情報から参加したばかりの方が一人
他は、女性なので(偏見かも知れませんが)理論的に弱かったのかも知れません。。。
終了して、ポスター発表会へ
伝わらなかったことに、少々ショックを受けながら、
交流会とは違う方との交流をせよとの事で、
てきとーに。。。
ポスターセッションが終わっても、
なんか、飲み会が終わらない。。。
結局、施設を借りれる制限時間いっぱいの
2時まで、グダグダしてました。。
床に就いたのが3時。
朝7時起床
眠いので8時30分まで寝た。
8時-9時が朝ごはんで、ギリギリ。
9時から分科会スタート
ちょっと遅刻
眠い。。。
爆笑問題の日本人の教養に出ていた上田先生
専門は体内時計。
ほとんどの細胞は、リズムを刻んでいるという
全体のリズムを保っているのは、脳内の
視覚なんとか核とかいう、目から来た刺激を感じ取る細胞の
後ろにあるナントカというところ。
そこが一定のリズムを刻んでいて、
他の細胞は、それに合わせているという。
次は。。寝た。
起きたら、すごい話をしている。
ゴルジ体を、50nmの精度で3Dリアルタイムで見た
蛍光顕微鏡(多分)の話
よく聞くと、光の分散で、普通は解析不可能になる領域を、
コンボリューション(具体的に何を示すのか不明)
要は、光が分散する式を逆に利用して計算しなおしたという話。
突っ込んだ予算が5億円。
物理の実験では、そう珍しい額じゃあないはずだけど
皆さんびっくりされてました。
ちなみに、お二人とも理化学研究所の方。
三人目は、生体膜だけど
化学平衡などに少し関係した話。
生体膜で起きるスイッチングで重要な役割を示すイオン
そのイオンの濃度って、たんぱく質を通って、細胞に入ると
その周辺の濃度が当然下がるはずなんよなぁ
濃度から見ると、膜タンパクの周りに数個しかイオンがいない状態。
そのイオンの流入でおきた現象を観察しても、
正確に膜タンパクとイオンの関係を導き出せないという話。
先生は、膜にずっとイオンを含んだ(多分)水と流し続けて
それで、膜の性質を定量定期に計った。
確かこんな話でした。
専門とは離れているから、知識が曖昧。。。
この日の晩は口頭発表
わが研究室のT氏も発表した。
少しうれしかったのが、
ブルーバックスのミリオンセラー保持者
池谷先生と同じ研究室の方のプレゼン。
内容は、海馬の神経細胞500個ほどの活動を
同時計測したという話。
要は、データの量が半端じゃないし、
もともと依頼されてした仕事だから、誰かしてください
というもの。
しかし、プレゼンの内容は秀逸。
まったくよどみなく、流れるかのようなスピーチだった。
ひとつのスライドにかけた時間が数秒というのもすごい。
この日もグダグダ話していて、
結局寝たのが3時ぐらい。
眠い。。。
三日目。
同様に遅刻しそうになりながら、朝ごはん。
一コマ目は神戸大の郡司ペギオ先生。
なんだか話が見えない。
眠いのもあいまって、質問はしたが、よくわからんまんまだった。
脳がテーマのシンポジウムへ。
一人目は東大の総合文化の川戸先生
男性ホルモン、女性ホルモンと、脳内物質について。
この先生、ミラーニューロンを知らないで、自閉症を語ろうとした。
少し遅れている気がする。。。
二人目は、理研の深井先生。
神経回路の話。
昔見つかった有名な非線形の回路モデルを単純化したものを
さらに発展させたという話。
原理的な部分が見えず面白くない。
寝た。
三人目は、多賀先生
発達段階の行動パターンを解析してらっしゃろう方です。
中でも目立ったのが、赤ん坊が何気なくしていた
手や足をじたばた振り回すしぐさ。
歳をとるにつれて、複雑になるそうです。
話の内容はほとんど発達科学。
後半、簡易MRIや、光トポグラフィーだっけ
を使った脳のイメージングを用いた研究の話が出てきたが、
時間足らず。
後半にもっと割いてほしかった。
今回というか立食パーティ。
グダグダと話した。
晩にまた交流会。
この会は、結構盛り上がった(僕の中ではw)
中でも、東大の宇宙物理のM2が郡司先生の話を聞くためにわざわざ参加しに来ていて、
色々と、その背景を聞けた。
どうも郡司先生は、
チューリングマシンでは、含まれていない演算を含もうとしていた様だ。
チューリングマシンに含まれる論理演算は、
ある集合を沢山集めてきて、
その中に含まれる論理を帰納的に求めて使っている。
つまり、論理の取り残しの可能性があって、
先生はそれを自分なりに掴もうとしていた。
「蛙が鳴くと雨が降る」
という理屈は、蛙の次に雨が降るという順序がある。
「蛙が鳴く」ならば次に「雨が降る」であって
この二つが等価であっても
「雨が降ると蛙が鳴く」とは時間的順序が異なる。
という話だ。
あっそ。
彼と盛り上がったのは僕が提示している価額の定義について。
実は、このブログではほぼ完成した版を載せていない。
それは、したつき文字を使っていて、
単に移すのがめんどくさいからだけれども、
今回その完成した理論を彼にぶつけてみた。
彼にとっての発見は、
科学は、自然現象に対して言葉を定義しているがゆえに、
その言葉と論理(チューリングマシン多分。。)にでもって
議論する上においては、正確に言葉が扱える
という、僕が学部生時代に思いついた考えだ。
彼は、同時に北大の数学専攻若手の会のような
セミナーが年一回あることを教えてくれた。
ぜひ参加したい。
次に盛り上がったのは、環境問題をもっと考えるべきだ
といっていた女性だ(何をしているのかまったく聞く機会はなかったw)
僕自身は、ディベートしている人たちの中心に入って、
議論を奪い取り、持っている知識を吐き出したに過ぎなかったが、
食いかかってきた先輩と議論になり、面白かった。
最後には、金子研のM1三人組とのだべり。
第一義的に、彼らの知識レベルの高さに圧倒されたし
すごしている緊張感のある日々が少しうらやましかった。
彼らに追いつくのに何年かかるだろうか。。。
まぁ、ただ9割は金子研ローカルな話と女の話で、
僕はぜんぜんついていけなかったw(そっちかいw)
ちなみにこの日は、三人と徹夜。
途中女性陣も数名加わっていた。
4日目。
お茶の水女子大の学長先生の話。
お茶大は、すばらしいことに勿論女子大でありながら
ちゃんと理科系研究室を備えている。
理論物理や数学など、女性がなかなか進出できていない分野にも
ぜひ沢山人材を送り込んでほしいものだ。
ただし、この学長先生の話は、
惰性ばかりで、論理にはまとまりがない。。。
思いつくことを並べているに過ぎず、かなり眠かった。
計算物理で子持ちの女性研究者のさきがけになったような方だが、
こんなに頭が整理されていないものか。。。
この日の夕方9時ごろ、セミナーハウスの最寄り駅
八王子で無差別殺傷事件があった。所謂通り魔事件だ。
アルバイトの女子大生が死亡したらしい。
セミナーは、午前中で終わり、都心部に向かう人は
北野の駅に向かったので、問題なかったが
本当に殺人事件は、起こした人間と、された人間の周りの人が
非常に不幸になってしまう。
自分ひとりで生きていないということを、
もう少し実感していれば、彼もあんな事をしなかったろうに。。。
悔やまれてならない。
2008年7月17日木曜日
土曜日から生物物理夏の学校(東京)
ついにきました。
サマースクールです。
(多分)男同士のむさ苦しい合宿ですw
いやもとい!!
熱気むんむんの合宿です!!
研究意欲あふれる、情熱あふれる!
(鬱陶しい…じゃなかった)
楽しい合宿です!!
土曜日から4日間たっぷり楽しんできます。
学部時代、僕は物理が好きだからって
S先生の生物物理を少し馬鹿にしていた僕が、
夏の学校は明らかに、生物物理ですww
魂を売った訳ではありません。
(魂を込めた理論をそのうち売りさばくのです)
同期でモチベーションの高い人は、まだ見つかってないので
とっても楽しみです。
うふふ(はぁと)
楽しい4日間になればいいなぁ
その前に、夜型を戻さないとねw
サマースクールです。
(多分)男同士のむさ苦しい合宿ですw
いやもとい!!
熱気むんむんの合宿です!!
研究意欲あふれる、情熱あふれる!
(鬱陶しい…じゃなかった)
楽しい合宿です!!
土曜日から4日間たっぷり楽しんできます。
学部時代、僕は物理が好きだからって
S先生の生物物理を少し馬鹿にしていた僕が、
夏の学校は明らかに、生物物理ですww
魂を売った訳ではありません。
(魂を込めた理論をそのうち売りさばくのです)
同期でモチベーションの高い人は、まだ見つかってないので
とっても楽しみです。
うふふ(はぁと)
楽しい4日間になればいいなぁ
その前に、夜型を戻さないとねw
2008年5月20日火曜日
科学の定義
定義1.1
ある現象が「科学的に述べられている」とは、次の①-③の条件が成立し、その関係が以下となっている事を指す。
現象が存在する
一定の精度の下ある現象の観測が可能である
ある仮定(法則)を用いることで、ある精度の下、観測と一致する結果を予測することができる。
関係: 1 ②、③が一致する①が存在
2 ②は帰納的に①に一致させることができる
3 ③は演繹的に①に一致させることができる
定義1,2
「科学的事実」とは「科学的に述べられている」現象に於ける仮定(法則)またはそれに基づいて予測することができる結果の事を指す。
定義1,1の補足
現象Pの部分空間P’について「観測可能」とは次を満たす時に言う
Pの元 p_i,p_jに対してp_i≠p_jと定義できる
このときP’は観測可能という。
ある現象が「科学的に述べられている」とは、次の①-③の条件が成立し、その関係が以下となっている事を指す。
現象が存在する
一定の精度の下ある現象の観測が可能である
ある仮定(法則)を用いることで、ある精度の下、観測と一致する結果を予測することができる。
関係: 1 ②、③が一致する①が存在
2 ②は帰納的に①に一致させることができる
3 ③は演繹的に①に一致させることができる
定義1,2
「科学的事実」とは「科学的に述べられている」現象に於ける仮定(法則)またはそれに基づいて予測することができる結果の事を指す。
定義1,1の補足
現象Pの部分空間P’について「観測可能」とは次を満たす時に言う
Pの元 p_i,p_jに対してp_i≠p_jと定義できる
このときP’は観測可能という。
2008年4月5日土曜日
始まりの日に
これから、本格的に研究生活が始まる。
または、本当に研究者としての人生が始まろうとしている。
それを予感させてくれる一日だった。
金曜日、
研究室のProgress Meeting(研究成果の定期報告会)があり、参加することができた。
冒頭、君はNew Commer(新人)なんだから、遠慮せず
わからないことがあれば、日本語でいいから質問しなさい
と、Boss(小松崎先生)に言われた。
僕が、この度所属することになった研究室には、
フランス人留学生と、中国人ポスドク(Post Doctor:雇われ研究員)がいる。
その為、今回の報告会ももちろん英語で行われた。
ある程度のコミュニケーション自体はすでに可能なことは、
これまでの会話の中でわかっていたが、
研究内容の話となると、全く別問題である。
話し手は、いずれも日本人だが、やはり専門用語が多くわからなかった。
説明不十分でわからないことがあれば、
英語自体でわからない部分があり、
もちろん手法に対しての知識不足が問題となることもあった。
僕は、必死になって内容についていこうとはしたが、
完全にノックアウトされてしまった。
暫くして、同時期に来たポスドクの方との歓迎会を開いていただいた。
雑談で、北海道での余暇の話や、
趣味の話、たわいない雑談や僕の卒論について色々と話したが、
それよりも何よりも、宴席の最後にBossが僕に対して話して下さった言葉が、深く突き刺さった。
今日聞いた内容は、きっとわからないことが多かったと思うけど、
恥ずかしがらないで、わからないことは、日本語でいいから聞いてください。
それは、これまで僕らが既にやってきたことなんだから、君が質問するのは自然なことだ。
僕は、もちろん反論した。
恥ずかしがったわけではなく、自分の中で質問が作れなかったのだと。
分からないことが多すぎたり、許容を超えるような情報で、とても質問できなかったんだ
と
しかし、先生はまた同じことを言った。
どうぞ、恥ずかしがらないで、わからないことは、日本語でいいから聞いてください。
これまで、研究室での生活が、2,3日あったが、
その中でも、節々に先生流の我々学生や研究員に対する細かい配慮に気づかされていた。
我々がより議論しやすい環境づくり、研究しやすい環境作りに
先生の腐心が見てとれている。
それだけに、この日の言葉は、
深く深く突き刺さった。
その日
床につき、考え込んだ。
本当に僕は質問ができなかったのか。
質問することを恐れていたのではないだろうか。
この言葉を、布団の中で自分にぶつける度、
反省させられた。
僕はこの日
研究者としての人生を、
一歩、
歩みだしたのかもしれない。
そのために必要な環境は、
本当によく揃っている。
僕には勿体ないほどの
仲間や、環境。
その重みは、僕の胸を熱くするとともに、
その先に広がる道筋が、
遥か遠くまで続いていることに、大きく震えてしまった。
始まりの日に、
僕はどんな人生に歩みを進めることだろうか。
または、本当に研究者としての人生が始まろうとしている。
それを予感させてくれる一日だった。
金曜日、
研究室のProgress Meeting(研究成果の定期報告会)があり、参加することができた。
冒頭、君はNew Commer(新人)なんだから、遠慮せず
わからないことがあれば、日本語でいいから質問しなさい
と、Boss(小松崎先生)に言われた。
僕が、この度所属することになった研究室には、
フランス人留学生と、中国人ポスドク(Post Doctor:雇われ研究員)がいる。
その為、今回の報告会ももちろん英語で行われた。
ある程度のコミュニケーション自体はすでに可能なことは、
これまでの会話の中でわかっていたが、
研究内容の話となると、全く別問題である。
話し手は、いずれも日本人だが、やはり専門用語が多くわからなかった。
説明不十分でわからないことがあれば、
英語自体でわからない部分があり、
もちろん手法に対しての知識不足が問題となることもあった。
僕は、必死になって内容についていこうとはしたが、
完全にノックアウトされてしまった。
暫くして、同時期に来たポスドクの方との歓迎会を開いていただいた。
雑談で、北海道での余暇の話や、
趣味の話、たわいない雑談や僕の卒論について色々と話したが、
それよりも何よりも、宴席の最後にBossが僕に対して話して下さった言葉が、深く突き刺さった。
今日聞いた内容は、きっとわからないことが多かったと思うけど、
恥ずかしがらないで、わからないことは、日本語でいいから聞いてください。
それは、これまで僕らが既にやってきたことなんだから、君が質問するのは自然なことだ。
僕は、もちろん反論した。
恥ずかしがったわけではなく、自分の中で質問が作れなかったのだと。
分からないことが多すぎたり、許容を超えるような情報で、とても質問できなかったんだ
と
しかし、先生はまた同じことを言った。
どうぞ、恥ずかしがらないで、わからないことは、日本語でいいから聞いてください。
これまで、研究室での生活が、2,3日あったが、
その中でも、節々に先生流の我々学生や研究員に対する細かい配慮に気づかされていた。
我々がより議論しやすい環境づくり、研究しやすい環境作りに
先生の腐心が見てとれている。
それだけに、この日の言葉は、
深く深く突き刺さった。
その日
床につき、考え込んだ。
本当に僕は質問ができなかったのか。
質問することを恐れていたのではないだろうか。
この言葉を、布団の中で自分にぶつける度、
反省させられた。
僕はこの日
研究者としての人生を、
一歩、
歩みだしたのかもしれない。
そのために必要な環境は、
本当によく揃っている。
僕には勿体ないほどの
仲間や、環境。
その重みは、僕の胸を熱くするとともに、
その先に広がる道筋が、
遥か遠くまで続いていることに、大きく震えてしまった。
始まりの日に、
僕はどんな人生に歩みを進めることだろうか。
2008年3月3日月曜日
Intel Fortranがうまくいかない。。。
UbuntuにIntel Fortranを導入しようとして、色々やってますが、
変なところで、躓きました。
まず、経緯について。
UbuntuにIntel Fortranを導入しようとすると、
g++が入っていないというエラーが出ます。
詳しいことは知りませんが、
同じLinuxのDesk Top ImageであるDebianの環境で導入されている、
GCC( GNU Compiler Collection) が入っているパッケージがないとできないとの事。
インストーラー起動中に、ちゃんと
build-essential
のパッケージをインストールせよと出てきます。
早速インストールしようと思ったんですが、
我が家のネット環境が、PPPoE接続だったため、
sudo pppoeconf
を使ってセットアップすることに。
実は、これだけではつながらないようで、
色々と苦しんだ末断念。
学校は、proxy設定だけなので、繋げるだろうと、
大学で設定することになった。
研究室で、一通り最新のパッケージを入れて
(Ubuntuはネット経由で更新してくれるし、アプリケーションも入手できる)
再びトライ
今度はすんなりインストールが始まった。
ところがどうだ。
本体がインストール完了して、
デバッガが完了。

Press ENTER to continue
ときたから、Enterキーを押しても、改行されるだけで前に進めない。
仕方なしに、ctrl+C でクリアーしてみて、
コンパイラーを使ってみると、
なんと、使えない。。。
コマンドにまだ反応してくれないようだ。
インストール失敗。
何が原因だろうか。。。
変なところで、躓きました。
まず、経緯について。
UbuntuにIntel Fortranを導入しようとすると、
g++が入っていないというエラーが出ます。
詳しいことは知りませんが、
同じLinuxのDesk Top ImageであるDebianの環境で導入されている、
GCC( GNU Compiler Collection) が入っているパッケージがないとできないとの事。
インストーラー起動中に、ちゃんと
build-essential
のパッケージをインストールせよと出てきます。
早速インストールしようと思ったんですが、
我が家のネット環境が、PPPoE接続だったため、
sudo pppoeconf
を使ってセットアップすることに。
実は、これだけではつながらないようで、
色々と苦しんだ末断念。
学校は、proxy設定だけなので、繋げるだろうと、
大学で設定することになった。
研究室で、一通り最新のパッケージを入れて
(Ubuntuはネット経由で更新してくれるし、アプリケーションも入手できる)
再びトライ
今度はすんなりインストールが始まった。
ところがどうだ。
本体がインストール完了して、
デバッガが完了。

Press ENTER to continue
ときたから、Enterキーを押しても、改行されるだけで前に進めない。
仕方なしに、ctrl+C でクリアーしてみて、
コンパイラーを使ってみると、
なんと、使えない。。。
コマンドにまだ反応してくれないようだ。
インストール失敗。
何が原因だろうか。。。
2008年2月27日水曜日
卒論発表会の終了と、Ubuntu
昨日、卒論の発表会がありました。
僕自身の中では、無事とは言えず、最後まで苦しんだ感じです。
卒研の内容は、修論でされたことを少し変えてするという内容のものだったので、
理論のフォローアップが、なかなか追い付かず、
先生が、終盤になってからやっと、修論の事を持ち出されたので、
体系的な理解も充分とは言えず、なかなか苦しみました。
初期の頃、ほかのメンバーには内容が難しいようだったので、
勉強のためにも、自分で作ったプログラムで最後までやり通そうと
思っていたのですが、これが上手くいきませんでした。
終盤、オーバーホールで2日ほど粘ったのですが、断念して、
過去の遺産を使って、少し手直しする形で、
シミュレーションの結果を出力しました。
この点に関しては、本当に悔しいの一言です。
疲れたので、しばらくは家でぐだぐだしたいですが、
卒論にまとめなければいけないので、あんまり休息の時間ももらえそうにないですね。。。
数日以内に、オーバーホールを成功させて、
自分のプログラムから、値を出力して、結果を得たいと思います。
なぜ、過去の遺産を使うのがいやなのかと申しますと、
過去に作成されたプログラムは、
計算速度が、少し速いとはいえますが、
可読性に大きな問題があり、加えて、一般性に欠ける点、
などなど、用はすこし埃をかぶったような、
古いプログラムの上に、応用性が低すぎるという点について、
問題があると思うからです。
こんな計算をしてこんな結果を得た。
じゃあコッチではどうだろう
って見た時に、組み替えづらい形なんですね。。。
先生は、僕の作ったプログラムの型が、
新しいからといって、色々と指摘されるのですが、
大概が見当違いのもので、次あう時には、そのことを忘れているといった始末です。。。
理論面は、すばらしいけれども、
研究のパートナーにするには、少し古いと感じます。
今問題となっていることを、一緒に研究するには、
先生自身が、今の時代にあった研究法を持たないといけないと思うのですが、
どうも先生自身にその辺の情熱がないようなので。。。
現在、自分のPCと学校のPCにUbuntuと、Intel Fortranを導入しようとしてます。
自分のについては、Ubuntuで、デフォルトのアプリケーションでは
幾つか足りないソフトがあるらしくて、ネット経由で簡単に落とすことができるのですが、
家のネットがPPPoEの環境で、少し手間が掛かるというのが一点と、
ネット情報どおりにしても、Ubuntuから上手くPCが接続してくれないというのが二点目
で、とまってます。
どなたか、ご存知の方がいれば、お知恵をお貸し下さいませませ。。
しかし、卒研は疲れました。
昨日今日と、頭痛がひどくて大変です。
本当にちゃんと休まなくてはいけませんね。
僕自身の中では、無事とは言えず、最後まで苦しんだ感じです。
卒研の内容は、修論でされたことを少し変えてするという内容のものだったので、
理論のフォローアップが、なかなか追い付かず、
先生が、終盤になってからやっと、修論の事を持ち出されたので、
体系的な理解も充分とは言えず、なかなか苦しみました。
初期の頃、ほかのメンバーには内容が難しいようだったので、
勉強のためにも、自分で作ったプログラムで最後までやり通そうと
思っていたのですが、これが上手くいきませんでした。
終盤、オーバーホールで2日ほど粘ったのですが、断念して、
過去の遺産を使って、少し手直しする形で、
シミュレーションの結果を出力しました。
この点に関しては、本当に悔しいの一言です。
疲れたので、しばらくは家でぐだぐだしたいですが、
卒論にまとめなければいけないので、あんまり休息の時間ももらえそうにないですね。。。
数日以内に、オーバーホールを成功させて、
自分のプログラムから、値を出力して、結果を得たいと思います。
なぜ、過去の遺産を使うのがいやなのかと申しますと、
過去に作成されたプログラムは、
計算速度が、少し速いとはいえますが、
可読性に大きな問題があり、加えて、一般性に欠ける点、
などなど、用はすこし埃をかぶったような、
古いプログラムの上に、応用性が低すぎるという点について、
問題があると思うからです。
こんな計算をしてこんな結果を得た。
じゃあコッチではどうだろう
って見た時に、組み替えづらい形なんですね。。。
先生は、僕の作ったプログラムの型が、
新しいからといって、色々と指摘されるのですが、
大概が見当違いのもので、次あう時には、そのことを忘れているといった始末です。。。
理論面は、すばらしいけれども、
研究のパートナーにするには、少し古いと感じます。
今問題となっていることを、一緒に研究するには、
先生自身が、今の時代にあった研究法を持たないといけないと思うのですが、
どうも先生自身にその辺の情熱がないようなので。。。
現在、自分のPCと学校のPCにUbuntuと、Intel Fortranを導入しようとしてます。
自分のについては、Ubuntuで、デフォルトのアプリケーションでは
幾つか足りないソフトがあるらしくて、ネット経由で簡単に落とすことができるのですが、
家のネットがPPPoEの環境で、少し手間が掛かるというのが一点と、
ネット情報どおりにしても、Ubuntuから上手くPCが接続してくれないというのが二点目
で、とまってます。
どなたか、ご存知の方がいれば、お知恵をお貸し下さいませませ。。
しかし、卒研は疲れました。
昨日今日と、頭痛がひどくて大変です。
本当にちゃんと休まなくてはいけませんね。
2008年2月8日金曜日
coLinux導入を断念
coLinuxを導入することで、Intel Fortranをインストールしちゃおうと思っていましたが、
どうも、卒研には間に合いそうもないので、結局FTN95でがんばってしまいます。
膨大なシミュレーション量なので、面倒ですが、やってしまわないといけませんね。。。
どうも、卒研には間に合いそうもないので、結局FTN95でがんばってしまいます。
膨大なシミュレーション量なので、面倒ですが、やってしまわないといけませんね。。。
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